オペラというのは不出来だと実に鑑賞に堪えないモノになる、と演出家のK先生はかつて云いました。残念ながらその実例に度々出会いました。海外からの引っ越し公演でもどうかと思うものも少なくありません。内外問わず、オペラ公演には莫大な経費がかかるのでチケット代が高く、その分期待外れの度合いも大きいのです。
そのかわり、とK先生は続けます。「うまく行くと、これほど深く感動を与える芸術はない」

S氏のお誘いでローマ歌劇場日本公演の『シモン・ボッカネグラ』(G.ヴェルディ作曲)へ行ってきました。ゲネプロ(舞台総稽古)鑑賞会です。
率直に云って、ローマ歌劇場はイタリアのトップクラスの歌劇場ではないと思っていたので、また、ゲネプロですから歌手たちがフルに歌わないケースも考えられ、リッカルド・ムーティが指揮すること以外、多くを期待せずに行ったのです。
ゲネプロですから基本的には少数の招待客しかいません。東京文化会館大ホールの2階席のみ開放され、1階席には公演に関わる関係者が座っているようでした。

予定時刻を10分ほど過ぎてはじまりました。照明は勿論衣装から装置まで本番同様です。先ほどまで客席でウロウロしていた長髪の大柄な男がどうやらムーティだったようです。
それからの約1時間半、長大な1幕が終わるまで私たちは身じろぎもせず聴き入りました。何より、2場のシモンとアメーリアの2重唱では涙がこぼれそうになりました。人間関係が複雑で予備知識がないとわかりにくいストーリーですが、字幕とおそらくはムーティの天才的な音楽と劇への洞察力によって登場人物像が浮き彫りにされ、それぞれの歌唱が心に響きました。そもそも「シモン・ボッカネグラ」が深い内容と音楽的完成度でこんなに面白い作品だったことに驚きました。

30分間の休憩で客席が明るくなり、S氏は第一声「素晴らしいですね!」
ロビーで音楽関係の知り合いに久しぶりに会ったら、元気?を云う前に「なんて素晴らしいんでしょう。ゲネプロなのに!」
全く同感です。歌手が粒ぞろいでオケもよく訓練され良い音を出しています。

休憩後の2幕・3幕の最後の最後までテンションの低い場面はなく、義理でもかっこつけでもなく大いに拍手しました。観客が少ないので拍手の音が弱く聞こえるのが残念なくらいです。
シモンの死の場面ではメガネが曇りました。
めったにない大当たりのオペラ公演に出会ったのです。

アメーリア役のエレオノーラ・ブラットは体調不良で降りたバルバラ・フリットリの代役ですが、いささかの遜色もなく、この男くさいドラマに鮮やかな花を添えています。
シモン役のジョルジョ・ペテアンは初めて聴くバリトンでしたが、気品のある声と立派な姿はタイトルロールにふさわしく、この公演の成功の多くを担っているように感じました。
アメーリアの恋人アドルノ役のフランチェスコ・メーリは唯一のテノールとして輝かしい声で直情的な性格をよく表現していたように思います。
そして、自分の娘を不幸にしたと思いシモンを憎むフィエスコ役のドミトリー・ベロセルスキーは、そのバスの深い声がこのオペラのテーマである男の友情と信義、父親の心情を歌い上げるのにふさわしく、3幕のシモンとの2重唱、終幕のアンサンブルでの存在感が際立っていたように感じました。
パオロ役のマルコ・カリアはじめ他の共演者もレベルが高く、合唱も美しくまた迫力がありました。

チラシにはムーティが数年かけてローマ歌劇場を再興したとあります。今やミラノ・スカラ座を超えているとも聞きました。
私がこれまで聴いたオペラの中で1、2を争う公演でした。この完成度の高さにはリッカルド・ムーティの存在が極めて大きいことは確かです。

S氏に感謝です。よくぞ誘ってくださいました。
それにしても、このところしばらく、こんな良いものがあることを忘れていました。