夫は
「思い残すことは何もない」

と言います。

ですが
「これは?あれは?」
と質問すると
「そうやった!」と
したいことを思い出します。

普段は忘れているようです。

私は、思い残すことばかりだし
後悔しないように
全力で生きて来たつもりだけど、
それでも後悔することも多い。

したいことばかりで
時間が足りない。

「しないこと」を決めなければ
「したいこと」は永遠にできない気がする。

いつかしよう
いつか行こう
いつか逢いに行こう

というその「いつか」は
永遠にやって来ない。

今を犠牲にして重ねる年月は
陽炎のように
瞬く間に消え去って行くから。

朝になると
「今日も生きてた」

と思って目覚め
そして
「今日は何をしようかな」
と思いながら、私の一日は
夫と次男のお弁当作りから始まります。

予定も目標も作らず
その日のスケジュールだけ。

家事をして
身体のケアをして
庭の薬草の手入れをして
絵を描いて…

そういう何でもない
ともすれば変化のない
無駄で遠回りの多い平穏な日常が、
実はとても大切で
幸せなことだということを
病気をする前は考えもしなかった。

「明日は来ないかもしれない」
そんな体験をすると
人生の優先順位が変わります。

「死ぬかもしれない」

と思っている時に
仕事、地位、財産…
優先順位の中にさえ
入っていませんでした。

長崎にパステルアート を
広めたい。
生徒さんも沢山育てたい。

教室も沢山して
フリースクールサロンで
親子が共に癒せる場所を
作りたい。

個展もして
次男の折り紙の普及にも
勤めたい。

ブログもホームページも
ショップも、動画も
自分でカスタマイズ
していたから
睡眠時間は3時間くらいだったし
徹夜することもよくあった。

こんなに頑張ったら
早晩病気するはずです。

自分のケアもできていなかったのに
人を助けたいとか
癒しを提供したいとか
病気の子ども達を助けたいとか…

本気でそう思うのだったら
医師になるべきでした。

臨床心理士の資格を
取るべきでした。

もっと経験値を上げるべきだったし
ビジネスの勉強も、もっと
するべきでした。

心身両面の知識を備えてこそ
人助けの基本はできるというもの。

看護師だった
病気の子ども達の看病に
16年の歳月をかけて学んだことは
貴重な体験ではあったけれど
それだけで
医療に関われるとか
人の役に立てるとか思うのは
何と傲慢だったことかと
思います。

まず、自分を整えること
人より家族の健康
特に食事に気を配り
家庭の団欒を作ること。

そんな基本的なことも
できていなかったのですから。

まずそこから始めるべきでした。

当時の自分に
言いたいことは

もっと、自分と家庭に
目を向けなさいということ。

「わたしがやってあげる」

もう、そんな酷いことは
言わないようにする。

その言葉で
解決策を自分で見つけて
自立していくことを
奪っていたのかもしれない。

自立できないように
依存させていたのかも
しれません。

だから、
まず自分のことをしてください。
小さな宇宙である
家庭を大切にしてください。

何より、生命
健康が最優先ですよと。

そう言いたい。

その生命を使って
やりたいことがあるし、
やり残したこと
本当に沢山あります。

だけど
やり残したことがあるということは、
それをさせてもらえると
いうことなので、
幸せなことだと思っています。

朝起きた時から
初めての日を更新していく
私たち。

今日という日は
わたしにとっても
初めての日ですから
未知の体験な訳です。

きっと失敗もするし
後悔することもあると思う。

ですが
そのかけがえのない日々の更新が
ドラマチックな一瞬一瞬が
わたしの人生を創ってきた
ことを思うと、

苦しみや哀しみや悔しささえも
抱きしめてあげたいと思う。

使命とか生まれて来た意味とか
目標とかあまり考えないこの頃です。

生きて行くということは
ただそれだけで大変だし
尊いことだと思うのでね。

生きてるだけで偉い!
よく頑張りました!と
言ってあげます。自分に。

こういうことを考えると
歳月を重ねたのだなと
しみじみと思います。

感謝されることも多かったのに
何だか自虐的な文章に
なってしまいました。

しかも
何の話だったか
まとまってませんが、
これも、備忘録として
残しておきたいと思います。

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