わたしの将来の夢は
“保育士になること”でした。
物心ついた時から、
ずっと変わらない夢でした。
長い間ボランティアや
アルバイトもしていましたし、
両親ともに保育士。
だから現場のことは
周りの友人よりも知っていたと思います。
思い入れも強かったので、
学生時代、勉強も実習も、
熱心に取り組みました。
でも、わたしは大学4年生の夏、
はじめて進路に悩みました。
こんなに未熟な人間が
保育士になっていいのだろうか?
でも机上で勉強し続けてもだめだ。
保育に、明確な答えやゴール、
完成形はない。
現場で揉まれて成長することも大切。
保育一筋でここまで来たけど
果たして本当にベストなのか?
(特殊業界なので)一般社会(企業)を
知らないままでいいのか?
(少し興味のあった)海外留学も
年齢的にこれが最後のチャンス?
それなら今はそっちを取るべき?
数人の教授から、
大学院進学も提案されていたので、
その選択肢もなくはない。
最大のきっかけは父に言われた
”あるひとこと”だったのですが、
卒論に取り組みながら、
あーでもない、こーでもないと
考えているうちに、
わからなくなってしまったんです。
一方で、就職するなら
社会福祉法人じゃなくちゃ嫌。
もちろん常勤。
お給料は多少安くてもいい。
でも理念・方針に共感できるところ
でなければ働けない。働きたくない。
1度就職したら、
そこでずっと働きたい。
と、希望の就職先像は明確でした。
周囲は就活に一喜一憂。
年内にどうにか決めたい!と必死でした。
でもわたしは、一向にスイッチが入らない。
しかも、全く焦らない。(笑)
気付けば冬。
卒論の追い込みをしながらも、
突然バイトを始めてみたり、
2週間の卒業旅行に行ってみたり。
あっという間に3月。
いよいよ友人たちがざわつき始める。
最終的には
「どうしてあなたが決まってないの?」
「大丈夫?」と学生課から
電話がかかってくる事態…(笑)
優柔不断。でも、こだわりは強い。
誰よりも勉強していたし、
学生なりに実績もあった。
周囲からの評価もあった。
厳しい保育業界の現状も
それなりに知っていた。
焦らなくても大丈夫。
どこか自信もありました。
…なんと進路が決まらないまま、
卒業式を迎えました。
(進路未定の首席なんて
前代未聞だったと思います(笑))
信頼を寄せていたゼミの教授は、
家庭環境からわたしの性格含め、
考えていること、悩んでいること
全てを知っていました。
その教授から
「新卒は人生で1度だけ。
どこでもいいから、
4月1日から社会に属しなさい。」
そう言われ、ようやく動き出したわたし。
22歳 ハローワークデビュー。
4月1日…
わたしが属した社会は、
公立保育園の非常勤保育士
(更新可だけど、とりあえず1年契約)
見学に行った時の女の直感と
”絶対に嫌だと思っていた
公立保育園だけど、公務員試験なしに
勤められるなら、まぁいっか!”
が決め手でした。
まさかの社会福祉法人でも、
常勤でも、終身雇用でも、
深く共感できた保育方針でも
ありませんでした。
でもその瞬間、
なんとも言えない解放感に満ち溢れていました。
その理由に、後々気付きました。
わたしは、敷かれたレールの上を
歩いている自分が苦しかったんです。
でも、そのレールは他の誰でもない
”自分が敷いたレール” でした。
”保育士” が
(原動力になる)夢や目標だった頃は
良かったんですが、いつの間にか
”わたしはこうあるべき。”
”こうでなければいけない。”
”そのためには、
こうしなければいけない。”
になっていました。
どんどんどんどんレールを敷いて、
そこから脱線しないように、
あらゆる制限をかけていたんです。
理想が明確で、人生設計が具体的で、
且つ、それを実現できて、
その上、周囲からも評価される。
その一連の流れをクリアすることで、
はじめて、自分が満足できると
思っていたのかもしれません。
敷かれたレールの上を歩くことは、
マジメで完璧主義なわたしにとっては、
しんどくて窮屈なものだったようです。
”最近ちょっとしんどいなぁ…”
って思っているあなた…
たまにはちょっと
脱線してみませんか?
怖いし、勇気がいるし、
思い切りも必要ですが…
でも、脱線して
はじめて見える景色もありますよ。
嫌だったら戻ってくればいいし、
心地いいと思えば、
そこに新しいレールを敷けばいい。
レールが何本もあったら、
いろいろなところに行けるはずです*
♪今居る場所が地図の真ん中。
見渡す景色のどこにだって
歩き出せる♪
学生時代を支えてくれた
コブクロの歌。
その中から ”宝島” の歌詞を
がんばっているあなたに贈ります*
わたしの体験と気付きが
誰かのお役に立ちますように…
slow & easy !