「私、プロポーズされたんだ。」
電話で呼び出されて、喫茶店で向かいの席に座ってしばらくして彼女がポツリと呟いた。

彼女とは高校時代の同級生で、仲の良い友だちだった。
彼女の恋の話の相談に乗ったり、互いの彼氏・彼女とダブルデートをしたり、高校を卒業してからも友だちとしてよく遊びに行ったりしていたものだ。

彼女に新しい男がいるとは聞いていなかったし、まさにびっくりの発言だった。
彼女は短大卒業後、家業の手伝いをしていて、確かに早く結婚をしたいといつも嘆いていたものだった。
私はといえばその年に社会人になったばかりで、毎日に忙殺されていた頃だった。

「これからその人に会う約束になっているの。」
「そこで返事をしなくちゃいけないんだぁ。」
立て続けに彼女が口を開く。
私は何故か言うべき言葉をなくして、目の前のコーヒーにすがるばかりだった。

言葉をなくしていたのは、多分その時私の頭の中はいろんな想像でフル回転をしていたからだと思う。
この展開は何?
何かのフラグ?
何で私を呼び出してそれを言う?
しかも今日、これから?

彼女と一緒にいると、自分を飾らないでいい、本当に良い関係だったと思う。
互いの恋愛遍歴も知り尽くしていたし、本当にいい友だちだった。
ただ、その時の私は以前付き合っていた女性とのことを未だに引きずっていて、彼女との恋愛とかそういったものを考える余裕がなかったのだ。

そう、マンガやドラマなどでこんな展開になったら、これは絶対に引き止めて欲しいという彼女からのシグナルに違いないのだ。
でもいざ現実に自分の身にこのようなことが起きると、それこそパニックってしまうもの。。。

今思えばとても打算的で臆病で優柔不断な自分がとても嫌なのだけど、短時間の間に本当にいろんなことを考えた。
彼女をここで引き止めても自分にその責任を取ることができるのだろうか?
そもそも彼女は私にとって恋愛対象なのだろうか?
これは単に私への報告なだけであって、ここで引き止めたら私がピエロなんじゃないだろうか?
そもそもそのプロポーズした相手に私はいろんな意味で勝てるのか?
もし引き止めたとしても社会人1年目の私に結婚なんて余裕はないぞ。。。
などなど。。。

結局私は友だちとして彼女を祝福することしかできなかった。
もし自分がマンガやドラマの主人公だったら、二人が会う約束した場所に私もついていって、その場でそのプロポーズをしてきた男に「私がいるからあきらめてくれ」と言えたのかも知れない。
それが出来なくても彼女がその日の夜にでもまた私の元に泣きながら電話をかけてきてくれるような展開もあったのかも知れない。
現実はそれほど私に甘くない。

店を出て待ち合わせの場所に立ち去っていく彼女の背中を見つめながら私はただただ立ち尽くすしかなかった。
彼女は一度も振り返らなかった。
私も呼び止めることができなかった。
その日以来、彼女からの電話は来ることがなくなった。

きっと誰にでもマンガやドラマの主人公のようになれる瞬間というものは存在するのだと思う。
ただし、そこで主人公のような選択ができるかどうかは別物なんだろうなぁという気がする。
結局主人公になれるかどうかは、環境とか、シチュエーションとかの問題ではなく、その人の行動にかかるものなのだなぁと今つくづく思います。

そう、もう20年以上前の春の出来事です。


長渕剛 「交差点」