7月30日の夕暮れ時。
突如母が嘔吐し倒れ意識を失う。
救急車を呼び、救急センターに運ばれ、診察の結果“くも膜下出血”と診断された。
動脈りゅうも大きく腫れて出血も大量とのこと、クリッピングとか言う方法で手術を行うと医師の説明を受けた。
「なぜ酒も煙草もやらない母がこんなことに…。」「そして何より、さっきまで普通にしていたのに何でこんな突然…。」頭の中には「何で…」の言葉で溢れかえり、胸が張り裂けそうになった。
深夜0時過ぎ。
手術を終えた医師が出てきて「取り敢えず手術は上手くいきました。」と言った。
これほど嬉しい知らせが今まであっただろうか?
その後も「今後は脳血管のレンシュクが…」って医師は説明を続けてくれていたが、頭にはまるで入ってこなかった。
それから少しして、ICUの病室に入り母に会うことが出来た。
母は眠っているのか意識を失っているのかは分からないが、沢山の管が繋がれた状態で上部が少し高くなったベットに横たわっていた。
7月31日、朝。
病院から突然の電話が。
「まさか…」と血の気がひいた状態で電話を取ると、意識が戻って目を覚ましたと良い知らせの方だった。安堵したはずなのに何故か涙が出た。
お昼。
ICUに面会に行くと母はまだ眠っていた。
医師の先生が経過の説明にきてくれた際に「家族の方が来てくれてますよ。」と母を起こしてくれた。
パッと目を覚ました母だったが、起きたてだからなのか病気の影響なのか分からないが俺のことを見ても何処の誰なのか認識は出来ていないようだった。
そんな母の姿を見た俺は涙が出ていた。
それが取り敢えず目を覚ましたことに対する安堵からきた涙なのか、意識がハッキリしない痛ましい姿を見たことからきた涙なのか分からないが、涙が出た。
8月1日、昼。
面会の時間になってICUに行くと、沢山の管に繋がれながら笑顔でこっちに向かって手を振る母の姿があった。
意識が戻ったらしく話も普通に出来た。血栓とかいうのを防ぐ為に足に変なバンドみたいなものがついてたりしていたが、手も足も動くらしい。なんか変な場所で変な状態だけどいつもの母だったので安心した。今日は目から塩水は出なかった。
翌日からはICUからACUに病室も移動し、食事の許可も出、面会時間も昼夕各2時間に増えた。
血管が縮まないように注意は必要だが経過は順調だと先生はおっしゃっていたが、頭痛が酷く、熱も38度~39度ぐらいあり、母はずっと辛そうにしていた。
食欲も無く、病院の食事も殆んど残していた。
先生が持ち込みもOKと言ってくれたので、焼き茄子など母の好きなモノを作って毎日持って行くようにした。
すると徐々に食欲も出てきて、母は元気になってきた。
術後2週間目の検査でも、まだ少し血管が細いままのとこがあるとのことだったが比較的経過は順調。
頭に少し水がたまってしまっているとのことで不安な点もまだまだあったが、それでも最初倒れた時のことを思えば腕の良い先生の下に運ばれた幸運に感謝したい気持ちでいっぱいだった。
8月18日。
造影CT検査の結果、前回の検査では細かった血管も順調に回復の一途を見せているらしく、遂にずっとしていた点滴も外され、入院した時はあんなにも沢山の管に繋がれいたのに、とうとうオカンに繋がれていた管は全て無くなった。
8月20日。
再出血は勿論のこと、倒れた時の出血が多かったから水頭症も気を付けなきゃいけないし、まだ週1で通院しないといけないし、薬も毎日飲まなきゃいけないし、まだ頭痛も無くならないらしいが、とにもかくにもオカン退院
くも膜下出血を起こした人の約3分の1は死亡してしまうし、約3分の1は体に障害が残ったりしてしまうことを考えれば、取り敢えず順調に約20日間で退院までこぎつけられたんだから感謝感謝
良いことねぇ~なぁ~とかツイてねぇ~なぁ~とかチンケな不満をタラタラ言ってた自分を恥ずかしく思うぐらい、今はまがりなりにも何の病気にかかることなく健康に生活出来てることに感謝感激雨アラレな今日この頃です