舞台Wake Up, Girls!「青葉の記録」のBDが発売されました。

おめでとうございます。

ソロカメラ映像など映像特典も豊富ですごくいいBDになってると思います。とくにタチアガレ!のソロカメラ映像はかなりキャラに寄った感じのパフォーマンスが見れるので気に入ってます。

(私が推してる子は完全に中の人がでちゃってる感がありましたが、それはそれでめっちゃ好きです。)

 

さて、1月に舞台を見たときにはいまいちわからなかったことがなんとなくわかってきたような気がするってことで、色々思ったことをダラダラと書いてみます。

アニメのWUGでは、真夢は「自分が幸せじゃなければ、誰も幸せにできない」って言ってるわけですが、舞台では「今の自分が幸せでなかったとしても、誰かを幸せにすることができたら、それで私は幸せなのかもしれない」とか「誰かを幸せにすることができたら、それはきっと自分に返ってくる。そのときの私はそう確信した。」とか言っているわけです。完全に逆です。
その矛盾はあえて受け入れる、つまりとりあえずアニメと舞台は別の物、と位置付けるとして、「青葉の記録」において、真夢はなぜ「誰かを幸せにすることができたら、それはきっと自分に返ってくる。そのときの私はそう確信した。」と言ったのでしょう?
正直なんだかよくわからなくないですか?

僕は全然わかんなかったんですよね。

それを色々と考えてみました。

結論から言うと未だにちゃんとわかってないんですけど←

まずは「誰かを幸せにする」という内容が、話のどこから登場したのか整理してみます。

舞台では、岡本未夕が松田をまねて「伊達藩士の名折れだからな!」と言ってはじまる物語が追加されていました(以下、「ゆき模様 恋のもよう」のくだり、と呼ぶことにします)。
このパートの途中で、真夢は「Wake Up, Girls!で、私達が頑張ることで、多くの人を楽しませることができたら。私がもう一度アイドルをやってみようって思わせてくれたようになれれば。※」と言います。

ここでわかることがあります。
真夢がアイドルをもう一度やろうって思った理由。
一つは「歌ったり、踊ったりすることが好きなのを再認識したから」ですが、もう一つは「I-1のDVDを見て、勇気づけられたから」ってことです。

前者の気づきについては、舞台においては、走り出した真夢が「歌いたい、踊りたい」と叫ぶシーンがあることから明白ですし、アニメでも同様だと思います。
しかし、真夢には「2つめ」の気づきがあったことが、「ゆき模様 恋のもよう」のくだりの後半の方で明らかになる。しかもアニメには無い内容(だと少なくとも僕は思っている内容)なので、すごく複雑です。


そんなわけで「アイドルには、他人を勇気づける、励ます力がある」、つまり「他人を幸せにする」って話がでてきました。
「ゆき模様 恋のもよう」のくだりでは、ライブが一向に決まらない状況において、佳乃と菜々美が「具体的な目標がないのはつらい」と言いだしたことに対して、上記の※の発言の前に、真夢は「他人を幸せにする」ことを目標にすればいいと言うわけですが、I-1のDVDを見ることでアイドルの持つ「他人を幸せにする」力を実感した上での発言だったわけです。なお、この提案の前に、「ゆき模様 恋のもよう」のくだりの中で、真夢が松田にアイドルの持つ力について語られたことを話してはいますが、文末が省略されている上に、直後に「今は自分のやりたかったアイドルができている」という発言があるので、すごくわかりにくい構成になっているように思います。


次は「ゆき模様 恋のもよう」のくだりの顛末について思うことを書きます。


佳乃が「やっぱりあきらめよう」と言うわけですが、演技からは「心の底ではあきらめたくない、やっぱりアイドルやりたい」って思ってるように見えます。
つまるところ「具体的な目標がないのはつらい」という発言は「うまくいかない現状への不安や苛立ち」から出た言い訳にすぎません。
なので、ここでの問題は目標を設定したことで解決されたわけではなくて、同じ境遇にいる真夢が、みんなが、ただ話をし、歌うだけでよかったのだと思います。
だからこそ、真夢が「ゆき模様 恋のもよう」を練習することを提案したのに対し、「他にやることがないから練習するのが嫌」と言っていた菜々美が「他にやることがないから練習する」と言うわけです。

Twinkleが「何かを見失ったときにつくった曲」である「ゆき模様 恋のもよう」。恋の曲なわけですが、「アイドルやりたい」という同じ思いをもつ7人が、静かに手を取り合って、その気持ちをお互いに確かめ合う、という歌詞にもとれるように思います。すごくエモい。

話を戻します。
何が言いたかったかというと、真夢が「他の誰かを幸せにする」という目標を掲げたことは、「ゆき模様 恋のもよう」のくだりにおいて、さほど大きな意味を持っていないということです。

そしてラストシーン。真夢は「誰かを幸せにすることができたら、それはきっと自分に返ってくる。そのときの私はそう確信した。」と言います。
まず「確信した」と思えるような出来事が起こってません。かつてI-1でアイドルをやって、そのDVDを見て松田さんが奮起して、松田さんからDVDを見るように言われて、自分の気持ちに気づいて、再びアイドルをやることができて、幸せになった、という流れは自分に返ってきてると考えられなくもないような気もしますが、「確信した」と言うには弱いと思います。

つまるところ「他の誰かを幸せにする」って話、なんだかふわっとした登場の仕方しつつ、結論は飛躍してるように思えたのは、理解不足なところがあるせいだろうと考えてたのですが、BD見て話の筋を以前より把握したけど、やっぱり結論に繋がってないやんけ!と僕はいいたいわけです。

そうじゃねーだろ、という考えの人がいたら、是非内容を教えてください。皮肉でも何でもなく。


で、ラストシーンの解釈なんですが、「そのときの」というのを深く考えずに、以前ブログで書いたような「青葉の記録」が過去を振り返って描かれたものだという考えのもと、「身近な人や、世の中の多くの人を幸せにしてきた」現在の真夢の想いであるという解釈もできるとは思ってて、それが僕としては一番しっくりくる落とし所ですかね。
「ゆき模様 恋のもよう」のくだりは、ちょっとオーバーに、時系列として後にあったことも織り交ぜて描かれてる感じだと思えば、アニメとも整合性がとれるような気がします。

色々書いてきましたけど、最後に一つだけ。
僕は「誰かを幸せにすることができたら、それはきっと自分に返ってくる」って、すごく素敵なことだとは思ってるんですよ。

舞台の最後、BDではカーテンコールの前。
「ひとつ、私から質問があります。皆さん、今幸せですか。」
「私達は今すごく幸せなので、きっとその幸せが返ってきたんじゃないかって思ってます。」
という言葉。
こんなに素敵な言葉はないって思いました。