今井正監督が1952年に製作した「山びこ学校」を観た。
実はこの映画は失われた映画として扱われていたのが、東北の某図書館に16mmの存在が確認されて、復活した映画である。
無着成恭が地元山形の中学で生活に即した綴り方を提唱して、作った文集が原作である。そこには貧困の問題が横たわり、子供を売る親が出てきたりする社会背景が出てくる。無着はこの文集の反響で村の恥をさらしたということで、追放されたという。
ここに出てくるのは何とか生徒のためにと頑張る教師たちの苦労や、貧困に耐えて忍ぶ東北の農民の姿が活写される。我慢強い東北の人たちの姿は今、震災と原発による塗炭の苦しみに耐える東北の人たちとたぶる。とあるセミナーで生産拠点を分散する際に、東京の連中はどこに生産させるかと考えた際に、関西は小うるさいが、東北の人間は黙々と仕事をこなすから東北にいろいろなものが集中したと講師は解析していた。文句を言わずに仕事をこなす人たちにいつしか日本人全体が甘えていたのかな、とこの映画を観てふと思った。