

その時にパンクの元祖と言われる、ラモーンズが誕生


ヴォーカルがジョーイ・ラモーン(本名ジェフリー・ハイマン)、ギタリストがジョニー・ラモーン(ジョン・カミングス)、ベーシストがディー・ディー・ラモーン(本名ダグラス・コルヴィン)、そしてドラムスが後にプロデューサーに転向してマーキー・ラモーン(本名マーキー・ベル)と交代することになるトミー・ラモーン(本名トマス・アーデライ:彼だけはハンガリーのブタペスト生まれ)でした


彼らは後にニューヨーク・パンクの根城として有名になるクラブCBGB'sを中心に活動を開始し、いつしかパンク・ムーブメントの主役のひとつになって行き、ゆくゆくカリスマとなって行った



しかし、ニューヨークのパンク・シーンとそこから派生したロンドンのパンク・シーン以外での彼らの評価は、残念ながらまったく低かった


大方の評論家たちは、「薬中の頭の悪いガキどもによるただただ単純でへたくそなロックン・ロール」と彼らの音楽を切り捨てていました。(当然彼らの曲は、ヒットチャートでもベスト10どころかベスト50にすら入ったこともありませんでした)
実際、彼らがデビュー・アルバム「ラモーンズの激情」(1976年)は、シンプルこのうえない2分に満たない曲ばかりでしたが、彼らのもつテクニックでは、それでも演奏するのに手一杯やったみたいや


ラモーンズのヴォーカル、ジョーイに関してのマスコミ評「単なる薬中のおバカ説」は、どうやら間違いのようで、実際はかなり神経質で頭の良い人物やった


バンド結成時は、ドラムを担当し、その後バンドのツアー活動について行けず共同プロデューサーという裏方役に回ったトミーもまたくせ者やったようで、彼が考えていたのは、ラモーンズはお得意の2分たらずの曲を繰り返し演奏することによって、ミニマル・ミュージック的な効果を生み出していたということなんや


同じニューヨークを代表するヴェルヴェット・アンダーグラウンドが得意としていたシンプルなフレーズの繰り返しによって観客を引き込んで行く効果。これが、ラモーンズの目指すものであり、この手法は誰もがマネできることではないと言ってました


彼らは、その後も当初のパンクを貫き通します



今聞くと、初期の彼らのサウンドは、荒削りなロックン・ロールという感じで、パンクというには普通すぎる気もするが、しだいにそのパンク的なサウンドを確立し、その後、時代の流れによって、多少の変化もありますが基本路線を変えることはなかった


しかし、わずか2分間のシンプルなロック・ナンバーをつなぎ合わせたアルバムが、実は全部でひとつの作品であったということなら、彼らのパンク一筋20年の人生もまた、究極のパンク・アートと言うことができるのかもしれない


いつかは、ラモーンズの再結成ライブを見に行きたいが、残念ながら、ジョーイ・ラモーンは、既にこの世を去ってしまいましたが、冥福をお祈りします

俺たちも負けずに頑張って行くぜー




