呼吸をするのと同じように、
人生も吸って吐いて、
何かを吸収して、何かを作り出さなきゃいけない。
いや、出さずにはいられないのかな。
でも、大抵私は涙か溜息しか出せない。
今日は白洲次郎の話を読んで、かっこ良すぎて、
今の私は一体なんなんだと、苛立って、
でも結局自分に何ができるのだろう、と帰り道に泣きそうになって
ふと右を見たらオレンジ色の三日月がひっそりと、
でも異彩を放っていた。
あの三日月みたいに在りたいと思った。
同じことに何の価値があるだろう。
異様でも、誰かの足を止める力があるなら、
それはどんなに強くてキレイか。
私はそうなりたい。
なんて、思いつつその覚悟はなかなか出ない。
だいたい、今まで。。。とくにここ5年は人と違うことを避けてきた。
髪型だって服だって、時には価値観だって。
何やってんだか。
それでも、今まで素敵な人ややさしい人に囲まれていたことが、
作られた私だからじゃないと信じたい。
間違えを恐れている私だから、みんながあたたかかったと思いたくない。
弱い私だから、みんなが優しかったとは思いたくない。
白洲次郎のように、自分らしさを貫けた人がいた。
けど白洲正子のように、カリスマの横でもがき苦しみ一生懸命吐き出す人もいた。
(もちろん、カリスマももがき苦しんだりもしてるんですが。)
今日の異様な月を見て、ああなりたいと、でもなれないと、モヤモヤした私は白洲次郎のように強くはないけれど、白洲正子のように葛藤していた。
と言ったら過言だけれど、でもきっと正子のように強くてキレイにはなれるはず。
その覚悟ならある。
きっとどんなに安泰な日々を送っていても、私はオレンジ色の月を見ては
中2のようにもがき苦しんでしまうのだから。
あとは吐き出すだけだ。
溜息でも涙でもない、けれど恥ずかしいくらい弱い自分を。作られていない自分を。