激しい性格の上に、物事を論理的に語ることに、長けていたので、反論するのは、容易ではなかった。
私は、父を殺したいほどに憎んだこともあった。でも、その圧倒的な支配力には、従うしかなかった。
私が、父の論理的弱点を突くことができるようになって、父の思考回路を理解するようになったのは、ずいぶん後のことだった。
それでも、私には、父が好まないであろう、私なりの持論をぶつけることはできなかった。
要するに、手強いオヤジだった(笑)
二年前、不整脈で入院した時、父には思うところがあったらしい。
その頃、ライフワークとしていた酒折の宮に伝わる、問答歌の研究に必死で取り組むようになった。
今思うと、その最中にも、狭心症的発作は起こしていたのではないかと思う。
研究が中断されまいと、そればかり考えていたのだと思う。
中国の古い文献から読み解いたその論文が書き終わった翌日、父が私のところにやって来て、使わずたまったお金と原稿を手渡した。そして、具合が悪いから、医師に連絡をとって欲しいと言った。
父とはいろいろなことがあった。猛反発したこともしょっちゅうだった。家庭向きの人では、全然なかった。
でも、この二年間、一筋に研究に打ち込み、論文を書き上げ、崩れるように、病に堕ちていった父の後ろ姿に、娘としてではなく人として、深い尊敬の思いを、私は抱きはじめている。
父の論文はいずれ、どこかに残そうと思う。父のささやかな、そのほかの業績とともに。