今日はこのドラマの、2025新春スペシャルドラマが放送された。
「監察医 朝顔」は、連続ドラマの時から毎週欠かさず見ていた思い入れの深いドラマである。
思い入れの深さの理由は、あまりにも自分と重なるところが多いと言う点だ。
まず、東日本大地震に触れていると言う点。ここで深く追求することはできないが、私は東日本大震災にルーツがある。毎度ドラマで三陸の映像が流れるたびに息を呑んでしまう。
もう一つは、時任三郎さん演じる「じいじ」の動向である。シーズンが進むにつれ平さんは仕事を辞め、認知症になり施設に行き、体調が悪くなる。これが全く私の祖父母と重なる。しかもちょうど放送されるシーズンと同じように私の祖父母も動いているようにみえるのである。
新しい出会いが訪れる幸せを分かち合いながらも、「別れ」がすぐそばにある生活をしている。
すごく怖くなる。
家族に限らず友達であっても、明日ねと言ったその明日が来ないかもしれない。全員その可能性があるのだ。
私が今眠って、明日の朝目を覚ますとも限らない。
でも、それをわかっていても人は寝る前に毎回周りの人にありがとうと言って寝るわけではない。遺書を残すわけでもない。
わかっていると言うべきか、わからないふりをしているというべきか。
私は、明日があると信じた前提で毎日を咀嚼している。
なぜなら、つまらないからだ。
例えばサプライズを仕掛けた時、この理論だと種明かしをしてからサプライズをしなければならない。そんなのつまらないじゃないか。
もし何かがあっても、「サプライズをしようとしたけどできなかった」と言うことこそが言葉がある人間には大事なのだと思う。
明日も、明後日が来ないかもしれないことに目を瞑って朝着替え、歯磨きをする。