1月21日10時45分訪問医療の医師に自宅にて看取っていただき永眠した父

 

母は10年前に亡くなっていたので

兄弟3人、兄、私、妹で父の最期を看取った

一日のうちで覚醒している時間がどんどん短くなって

16日火曜日訪問ドクターが父の顔をみるなり顔色悪いですね、眉間の皺が深いですねと、薬の増量を提案

その日の夕方、今まで体位変換時に痛い痛いと言う事はあったけれど、それ以外で痛いと口にすることが無かった父が初めて痛いと何度か言い眉間に深い皺をよせた。その日から疼痛ケアの飲み薬増量。粉の薬を少量の水で練ってほほの内側にこすりつける。

17日水曜日訪問看護さんに水分とアイスクリーム数口、声掛けにOKサインをだしたり、ジェスチャーやアイコンタクトで応える

痰を出すためにせき込むときに痛そうに眉間に深い皺を寄せる。日中も夜間も何度も痰がらみの咳をし、痰を吐き出そうとする。

自力で痰を吐き出しティッシュで痰をぬぐい、ベット脇のゴミ箱に投げ捨てる。覚醒している時にはアイコンタクトで語り掛けてくる。いつも冗談が絶えない父であったが、目をまん丸に見開いてジョークやダジャレを言ってくる。目が合うと冗談言う時の目になって言葉にならない声にならない言葉を投げかけてくる。声にでてなくても何を言っているのかはわかる。

19日もう何も食べられない、水も飲めない。ほとんど飲んでいないのに痰が出る。苦しそうにあえぐ。

手を握ったら握り返してくれたり

アイコンタクトはとれたが、目がかすんでいるのかな、焦点合っているのかな、

昼間は疼痛ケアのおかげで寝息をたてている時間もある。夜中じゅううなり、6時間おきの鎮痛剤をほっぺたの内側にぬる。

20日死の前日も覚醒していた時間は訪問介護のヘルパーさんが訪れた11時からの30分間くらい嚥下できなくなり、口の周りをスポンジでしめらせたり、日中痰がらみの咳、痰を吐き出そうとする意志は見受けられた。

夜間はずっとあえいで苦しそうで、痰を口に手をいれてぬぐう。水が欲しいのか噛んでくる。結構強いちから。

20時に痛み止め、6時間あけなければいけなくて、

21日深夜2時に痛み止め、効かないらしく喘ぎ声。手を握って身体をさするくらいしかできない。なかなか効いてこない薬。次は朝8時かぁ、、一晩中喘ぎ苦しむ父。4時に2階で寝ていた妹を父の寝室に呼ぶ。訪問ドクターに来てもらいたいね、どうする、7時に連絡しようかと決める。兄弟3人で父のベットの周りでなんやかんや子供時代の事を話して、痛み止め効かないね8時までまだ3時間あるね、、と5時に話す。6時に父がすっと寝入る。妹また2階に上がる。父と同じ寝室で寝ていた兄と私も6時からしばらく眠る。8時に訪問看護瀬テーションに連絡。11時に訪問して下さるとの事。9時過ぎに兄が父が覚醒せいているよ!と。兄弟3人父の周りに集まる。手を握り声を掛け、感謝の気持ちを呼びかける。兄弟順々に手を摩ったり、声掛けをしたり。10時過ぎに訪問医師と電話にて父の状態などを報告、点滴の用意をして11時に向かいますと。その電話の最中に父の胸の上下が止まる。お父さん息してない、、、首筋の脈はトクントクンと顎を持ち上げ息をする。脈は脈打つ、顎を上げて息をする。兄弟で渾身の声を張り上げ父に声掛け、父はその呼びかけに応えてか目を大きく見開いて口角を上げて顔全体でにっこりと微笑み、3度目の息をして息も脈も止まる。10時16分。最後の最期に渾身のギャグを言おうとしていたのかな。どんなに痛く辛くても、泣き言を言わず、周りの支えて下さる皆様に感謝の気持ちを伝え続けて、最期は大きく笑ってこの世を去った父に敬語の念を禁じえません。

もともと自営業でたたき上げ、才能だけでなく、計り知れない努力とポジティブな精神で様々な苦難を乗り越えてきた父

母子家庭で育ち、

鉄工所で働きながら学校へ行き

38豪雪の時には電車が運休になっても徒歩で富山から高岡の宣教師宅まで英語の発音の教えを請いに雪をかき分け行った父

独学で運輸省認定通訳案内業ガイド国家資格を富山県第1号でとり、英検1級優良賞を授与されてた父

子供が生まれてから富山大学英文科に入学、働きながら大学を卒業した父

毎日英字新聞を読み、英語で授業をし、常に学び。生涯現役と85歳、癌がみつかって1年まで働いた父

最期の2年は自宅療養生活でありましたが、

生涯現役、自宅で畳の上で死にたいという願いを兄が自宅介護でかなえてくれました。

おつかれさまお父さん

ありがとうお兄ちゃん。

猛烈に働いていた時も愚痴を言わず、自分の事は自分で責任を持つ、人を責めたり、羨んだり擦ることはなく、苦労も口にせず

他責にすることなく、

自分の信念に忠実に懸命に生き、家族を守り、教え子には出来る限りを尽くし、介護生活に入っては関わって下さる方々に感謝を常に忘れず、恨み言は言はず。自分の人生を全うした父でした。

母の死の時と違い上手く涙を流す事できないでいる私

やり遂げた父、悲しくないと思おうとしている私

なんだが、上手く自分の気持ちを心をトントロール出来ていない自分がいる。

受け入れるには、もっと時間が必要なのだろうな。

ゆっくり 自分の心と向き合っていこう

父の介護を2年、全振りでしてきてくれ自宅で逝くという父の望みを叶えてくれた兄に感謝

 

認知症の介護施設で働いていた時も、帰宅願望、家に帰りたいという利用者様の声にこたえてあげられなかった事が一番の心残りでした。家で逝きたいというのは最高の我儘なのかもしれません。でも健康寿命を延ばすことで、少しでも長く自宅にて暮せるのだと思います。最後の最後まで自分らしく、自分なりに暮らせたら良いとおもいます。

 

🌈認知症予防🌈認知症改善を栄養と睡眠身体の内側から支えるアドバイザー

柘植文代(つげふみよ)💖