今日は朝はネカフェでYouTubeを見る。
昼から移動。
最寄り駅のパチンコ屋で1パチを打つ。
海猿で2000円勝ち。
夕方は部屋の掃除と道具の整備。
体調は変わらず、鼻水、右足首及び小指の付け根の痛み。
教訓は、道具の整備道具を放ったらかして外出したら、帰った時には掃除が始まってて、その道具の所在が分からなくなった。
外出する前にはしっかりと片付けをすべきだった。
で、今日の本題。
人類皆平等と叫ばれる様になって久しい。
ただ、俺はそうは思わない。
いや、別に人間に貴賎が有るとは言っていない。
平等ではなく、対等であるべきだと思っているのである。
つまり、区別は必要だが、差別は許さないと言うスタンスである。
何が違うかと言うと、平等は誰が何をやっても同じ評価をしなければならない。
対等ならば、誰がやっても、同じ結果を出せば同じ評価をしなければならない。
一見そんなに違うようには見えないが、そこには大きな違いがある。
例えば、みんなでおててをつないで一緒にゴール、みんな一番。
これが平等。
イケメンでもブサイクでも、一番にゴールした人が一番。
これが対等。
ついでに言うと、ブサイクが先にゴールしても、イケメンが一番になるのが差別だね。
それぞれの特性と努力に応じてそれぞれの結果を出し、それを正当に評価するのが対等である。
男女を平等にするとかいう話もある。
だが、それは結果の平等を求めている様で、権利と義務の平等を求めているのではないようだ。
男女には明確な差異がある。
能力は個人毎の問題なので割愛するが、一般的に女性の方が体力がない等の傾向もある。
体の構造の問題で、月一能力を発揮出来ない時期があったり、妊娠出産時は行動に大きな制限を受ける。
だから悪いという訳ではないが、それを考慮した上で配慮をしたりする必要があるだろう。
そして、その分の権利の消失も付いてくる。
その辺の筋を通さないと、そう言った制限無しで働き続けている男性の不満が抑えられなくなる。
権利は義務の遂行により与えられるものである。
それが出来なければ、何者も権利を行使し得ない。
今日はこんなもんで終わる。
おやすみなさい。