若い時は物事をその場の善悪、有利不利、損得、で判断していた。 それは思考から決断までの時間を短くし、素早いアクションを取ることが出来、それはそれで今振り返ってみても良かったと思っている。

ただし、一方でこの判断の仕方は幼稚で、万が一その判断が間違っていた場合の振り幅が大きく、極めて危険だとも言える。

 

昔読んだ何かの本で「待てないヤツは成功しない」 みたいな話があり、「じゃ何時までも待ってて何もしなければ成功するのかよ。 アホくさ。」 と若かりし私は思ったが、その後いくつかの間違いを犯しながら、今ではなんとなくその意味が分かる様になった気もする。 乱暴な判断で自分に大きなツケを回す位なら、確実に何もしない方が良い。 ちなみに 「自分に大きなツケを回す」 という事は 「周りの人に大きなツケを回す」 とも言い換えられるが、結局それすらも 「周りからの信用・信頼を失う」 という形で結局は自分にのツケとなる。

 

そもそもこの地球上に100:0で構成されたものなど殆ど存在しない。 水道水には不純物が混じっているし、その水は水素原子2個と酸素原子1個という比率で出来ている。 昔日本が起こした戦争も侵略された側からすると侵略戦争という悪だったが、日本からみれば欧米の白人から東洋諸国の植民地化を防ぐという正義の戦いだったのかもしれない。 わかりやすくちょっと盛って表現すると、日本という 「悪」 がいなければ今頃東洋人は皆欧米諸国の奴隷だったかもしれないのだ。

 

残念ながら 「清濁併せ呑む事」 が分別わきまえた成長した人間(一般的には大人という)のするべき事だと言わざるを得ない。 絶対的な正義の味方は居ないし、自分が正しいと思って行動した事は実は大失敗かもしれない。 当たり前のことだが、これを客観的かつ論理的に理解するのは意外と難しい。 発想を短絡的にし、自分を正当化し、自分を守ることに集中したほうが楽だからだ。

 

ツイッターやラインなどショートメッセージでのコミュニケーションが主流になり、それに加えてネット特有の 「その場に居ない感」 が人々をより短絡的な表現や思想に導いていく。  限られた文字数の中で論陣を張る場合、どうしても表現が100:0になってしまう。 一見バーチャルな世界が実はリアルであるという事を深く考えないまま、それらの表現はその人を構成する思想の一部となっていく。  極端な思想や発想を持つ人が増える傾向は今後も続きそうだ。

 

100 : 0 の判断はまだ社会で十分な力のない若者が他者より早く成り上がる為のリスクとして存在するべきで、いい大人がこういう発想で物事を軽々しく口にするべきではない。