断捨離に没頭しはじめたのは


2024年の秋口なのですが 


「そういえば同じタイミングで始めたなぁ」


と思い出したことがありました。




それは




花を飾ること




物を減らそうと奮起する中で


花を購入し、飾りはじめました。




お恥ずかしながら


今まで植物には全く興味もなければ


手に取ることもほとんどなく


花の種類も名前も無知と言っていい。



それなのに


急に花を飾りたくなって


近所のスーパーで切り花を購入するようになりました。



お花屋さんが近くにないこともあり


現在ももっぱらスーパーで購入していますが


小さいブーケや2〜3輪で売られているこじんまりとした物を選ぶようにしています。




残念ながら花をいけるセンスが壊滅的なので


不格好に花瓶にいけられた花に対して


時折申し訳なく思うのですが


それでも元気に美しく魅せてくれるのがありがたいです。





唯一やっていた真逆


本当に今更なのですが


断捨離をやっていると


「あってもいいけど、なくてもいいよね」


という結論になって処分する流れになる。


断捨離のセオリーに近い流れを踏んでいたと思います。




ただ、花を飾ることに関しては


「なくてもいいけど、あったらいいよね」


という真逆だったように感じます。




花を飾ることをしなくても


生活そのものには全くと言っていいほどなにも影響がないし


飾るに至って用意する物が増えるし費用もかかる。


お水を交換したりと少しばかり手間をかける部分も出てきます。




それでも手放す方ではなく得る方をやっていた。



当時どんな心境だったかは忘れてしまいましたが



きっと断捨離に殺伐としたものも感じていたのかもしれません。






何を残すかより、何を感じたいか



花のある生活を続けてみて感じたのは


そこに


“彩りを感じたい自分”


がいることでした。




季節やタイミングで花のない生活をしている日々もありますが


そこに対して枯渇感や不足感を感じることは全くありません。




ただ


ある、ないという2択というより



“そこに感じたいものがあるから”



私は花を用意しているのだと思いました。





目の前に差し出された鮮やかさややわらかさに


ホッとして和む自分がいる


鮮やかさに少しだけ気持ちが踊ったり


やわらかさにほんのちょっと安心を覚える




すぐに力んでしまうクセのある私ですから


ただそこに佇むものに少し意識が向くと


力の抜けた、緩みのある状態を自然と作り出してくれるのだと思います。




断捨離に没頭して


捨てる、処分するを意識的にやっていましたが


手放したところに入ってきたのは


無意識だけど


自分の心を豊かにするものだったことに


今更ですが驚いています。




生産性のあるものでも、結果が見えるものでもないですが


案外、そういう小さな豊かさが


自分の人生の彩りの土台になるのかもしれないなぁ…



そんなことを思う火曜日です。