日本は昭和4年から大恐慌に入る
植民地を広げ
農家の人減らしのため移民を進め
満州にも軍の補給地のため移民を進め
満州事変、
5.15事件、
2.25事件、
支那事変=日中戦争
大東亜戦争=太平洋戦争=第二次世界大戦

5.15事件、
関東軍の満州国建国を犬養毅は「満州国は中国を分割することになる。これは9カ国条約に違反する」と反対の立場を取り暗殺される。

「話せば分かる」民主主義が、「問答無用」ファシズムに蹴散らされた事件。

中国に手は出したらあかんってまずいって言ってるのに聞く耳を持たず。あの時聞く耳を持っていれば。

それが元で、国際連盟からの離脱

政党政治への不審と軍事政治の台頭
太平洋戦争
日本はどこでどう選択を誤ったのか

アメリカのトルーマンは日本を徹底的に立ち上がれない状態に陥れた

戦後84年 1940→2024
今の日本には決起する若者は不在
景気低迷
昭和を生きた人々は寿命を迎えていく
新しい時代は来るのだろうか
歴史を振り返りながら
過去、現在、未来を
無力だけれど考えてみる


昭和恐慌(しょうわきょうこう)は、1929年昭和4年)10月にアメリカ合衆国で起き世界中を巻き込んでいった世界恐慌の影響が日本にもおよび、翌1930年(昭和5年)から1931年(昭和6年)にかけて日本経済危機的な状況に陥れた、戦前の日本における最も深刻な恐慌

第一次世界大戦による戦時バブル(=日本の大戦景気)の崩壊によって、銀行が抱えた不良債権金融システムの悪化を招き、一時は収束するものの、その後の金本位制を目的とした緊縮的な金融政策によって、日本経済は深刻なデフレ不況に陥った[1]


五・一五事件(ごいちごじけん[1])は、1932年昭和7年)5月15日日本で起きた反乱事件。武装した陸海軍の青年将校たちが内閣総理大臣官邸に乱入し、第29代内閣総理大臣犬養毅を殺害した。


二・二六事件(ににろくじけん、にいにいろくじけん)とは、1936年昭和11年)2月26日から2月29日にかけて発生した日本クーデター未遂事件。

青年将校たちは、日本が直面する多くの問題は、日本が本来あるべき国体から外れた結果だと考えた(「国体」とは、おおよそ天皇と国家の関係のあり方を意味する)。農村地域で広範にわたる貧困をもたらしている原因は、「特権階級」が人々を搾取し、天皇を欺いて権力を奪っているためであり、それが日本を弱体化させていると考えた。彼らの考えでは、その解決策は70年前の明治維新をモデルにした「昭和維新」を行う事であった。すなわち青年将校たちが決起して「君側の奸」を倒すことで、再び天皇を中心とする政治に立ち返らせる。その後、天皇陛下が、西洋的な考え方と、人々を搾取する特権階層を一掃し、国家の繁栄を回復させるだろうという考え方である。これらの信念は当時の国粋主義者たち、特に北一輝の政治思想の影響を強く受けていた


日中戦争にっちゅうせんそうは、日本軍への発砲(盧溝橋事件)により発生した、1937年昭和12年)7月7日から1945年(昭和20年)8月15日まで、大日本帝国蔣介石率いる中華民国国民政府の間で行われた戦争である。支那事変(しなじへん)とも呼ばれる

第二次世界大戦(大東亜戦争/太平洋戦争)が開戦すると、蔣介石の重慶政府が英米蘭とともに日本に宣戦布告し、事変が戦争にエスカレートしたことを受け、日本側の東條内閣は10日の閣議で「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」ことを決定した