今日は「ヒーローの日」とかだそうで。
これは皆さまもご存知で認識の多い存在・キャラであります。ですが、これが実際の世界に、となると「中々いない」のが現状です。そうですよね?だって、多くのヒーローたる存在は架空の中の存在が多く、架空だけに色んな出来事や難関に立ち向かい成してしまうという。だからこそヒーローの意味もあろうし、際立つというものです。
ですが、現実の世界となると全くいないわけではないですが、ほとんど居ないと言っていいほどいません。それは現実と架空では世界も違うし、架空は「想像の産物」だからです。観念でしかない。
それこそリアルで追うとすると、家庭では男性で夫、又は父親がそういう存在になる場合が多い。ですが、実際人生でどれだけの人が夫、及び父親的存在が「一家のヒーローになれるか」といったら、さてさて。
特にもやしのような、またはチキンハートな男性ならヒーローにすらなれません。又は体だけが「ヒーロー的」であっても、中身がそぐわない。例えばヒーローなのに力加減が分からず、創り上げるどころか破壊してしまう場合や、繊細な物事が苦手でとかで適切な行動ができない人はヒーローになれません。
それこそヒーローは何でもできていざとなる際だけでなく、いつも頼もしい存在、万能でなければいけないので余計「なりにくい存在」です。だからこそ普通に生きるにも大変なのに、ヒーローなんて言う存在になるなんて100年早いです。
だから現実世界でヒーロー的存在がいるか、といっても皆無な程と言うのが現実であり、また仮にいたとしてもその人が病気か何かで動けないとすれば、途端にヒーローでなくなります。
まあ、今述べたことはざっとでおおよその認識で大きいものを挙げましたが、もっと考えて行けばヒーローは「依存対象」だったのがわかります。
これを分かりやすい例で示せば、ウルトラマンなどがあげられる。架空の話ではあるが、怪獣が地球に来て悪さをする。そこに立ち向かうが人間の力では限界がある。そこで頼りになるのが「ウルトラマン」です。そしてウルトラマンは一生懸命戦って勝利するわけですが、これが初期のウルトラマンの最終回で見られたように、ウルトラマンの最大の強敵「ゼットン」に負けるわけです。そこで人間が「ウルトラマンに頼ってばかりではいけない」と自分らが考え作成した兵器を使ってセットンを倒す、と言う流れになるのですが、これを見て子供の頃の自分は「ぎゃふん」でしたね。
それこそそれだけ強い兵器があれば「ウルトラマン、いらねーじゃん」と。今までウルトラマンを頼りにしてたのと戦ってくれたのはなんじゃねん、と。そう思ったわけです。
それから考えると、ヒーローは「完全無欠で完全勝利を毎度やらねばいならない存在」であって、ヒーロー側からすれば、エライ迷惑ですよ。
そして怪獣を倒し平和を守るためには、やっぱウルトラマンであり、それは当然でしょう、という図式があるわけです。
これでは、架空の世界だから良いものの、リアルでそれをやられたら、やらされた方は「たまらない」
また実際ではそういう存在がいないのだから、どうすればいいかと言うと「自分でやるしかない」わけです。
だからある種「自分がヒーローでなければいけない」と思うか、ヒーロー云々抜きで「自努力しかない」とやるかです。
結局依存しているんですね。依存せずにこなすとなると「自分でやる」これが当たり前になる。そして現実世界ではそれが「当然」なわけです。そしてそれをやれればいいがやれなかった場合は「落ち込む」「失敗する」などが生じる。下手をすれば責任問題すら負うこともある。
そうなると現実の世界で生きるのが辛くなるわけです。そこを超えて大人になるわけですが、そう成れない人が増えているのも現実の世界ではあります。子供のままでいた方が楽ですからね。
だからヒーローなんてのは架空・妄想の世界だけにしておくべきです。現実と分けて考えないといけない。
まあ、物語としては自分も嫌いではないですけどね。
だが現実世界では嫌と言う程リアルを味わされます。そこでどうするか、ですね。
皆さんはこう言うことがわかってはいる方が大半だとは思いますが、中には「現実逃避」する方もいるので、そういう方は「いい加減現実を見ろよ」といいたいですね。というか私が言わなくても判るのが普通ですが(汗
マーベル社ではまだヒーローものの映画の展開を行っているようですが、映画と言う商売上仕方ないのかも。
そんなことを思った自分でした。
PS 仮面ライダーも好きですよw