体感
僕はたぶん体幹ができていない。
そう思い始めたのは去年辺りからだった。
自分が人並に動けていない、とは昔から感じていた。
けれど原因についてはよくわからず、
体そのものが不自由なわけでもない。
それでも時々痛みで動けなくなったり、
立っていられなくなることも日常的にあった。
最初に「たぶん」と書いたのも人と比較するのが難しいため、
言い切ることができないことと、
そう考える以外に納得できる理由もつじつまの合う理屈もないと感じたからだった。
それからは体幹トレーニングなどを生活に取り入れてみた。
あまり効果が感じられないと思っていた時、
自分の日常の中にその効果をかき消すような習慣があることを偶然知り、それを改めた。
今後多少は良くなっていけばいいなと思う。
しばらく記事を書いていなかったので読む方によっては唐突で、
書いていることが伝わらないかもしれないので、少し補足を。
ー僕は発達障がいと総称される障がいを複数持っています。
それを知ったのは数年前で、ここに書こうと思っているのは自分が持っている特性のなかで、あまり一般的ではないと思うもの、本に書いていないからこそ当事者の書いたものを
読みたいと思う方にとって、ひょっとしたら意味があるかもしれないことについて書きたいと思っています。全く個人的で主観的なものが多いので、決して内容=発達障がいに共通する特徴ではない、ということをご承知いただければと思いますー
体幹について思う時、昔から続くあることがとても気にかかる。
それは座って食事や作業や勉強に集中することが難しいこと。
よく本に書いてあるのは、授業中座っていられず立ち上がって歩き回る、というものだけれどそういうことは僕にはなかった。
(逆に授業を受けている間強烈な眠気に襲われ、起きていることができなかった。
常にそうだったので学校で学んだ知識は僕にはない。)
それとは別に、当事者に関すると思われるどこかの文章で
ー食事中に子どもが椅子から落ちてしまいます。本人は椅子から落ちきって痛みを感じるまで落ちていることに気づかない様子ですー
という内容を読んで、自分と重なるものを感じた。
これは「体幹が弱いということは、自分の体が傾いているという感覚=体感にまで影響がある」という意味だと思う。実感としてもとてもよくわかる。
僕自身はそれほど豪快に椅子から落ちた記憶はないけれど、その理由もわかる。
本当に小さい頃にはそうならない椅子を使っていたこと。
それ以降はテーブル、机などと椅子の間に体を挟み、体を固定させるような使い方をしていたこと。
学校でも机に突っ伏して寝ていた僕には、少なくとも座っている時に使う体幹が使われることそのものが少なかっただろうと思えた。
このテーマはきっとまだまだ書ける。
また折をみて書ければ、と思う。
体幹について最近知ったのは、自分が思うよりはるかに日常に影響があったということ。
実際の痛みはもちろん、意志、集中力、持続力、忍耐力など。
僕は今、これらがこれから伸びてゆくことを思うし、
改善させればできることも増えると結構前向きに考えている。
2023年
だいぶ更新する機会を逃してしまい、
今更になってしまいましたが、
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m
去年はそれまでになかったことが色々動いた年だったので、全体的に音楽の内容が多く、それまで書いていたような記事がかなり減ったのですが、今年はまた記事を書きたいな、と思っています。
特性についての内容が多くなる気がします。時には愚痴っぽくなるかもしれません。それでもこの世のどこかには届いてほしいようです。ひょっとしたら読んだどなたかのお役に立てる可能性もゼロではない、と思いながら書ければいいな、と思っています。