クリスマスの熱が冷めないうちにもう一件。
ママ友と山ちゃんが保育園に行っている間にXmas会を。
二人とも下の子がいるからゆっくりは出来なかったけど、
楽しいパーティーだった♬
友達は家も綺麗で、おもてなしの仕方もスマート。
私は友達を呼ぶとバタバタしちゃうし、スマートには程遠い。
見習おう!って思った。
持って行ったケーキはクリスマスらしくショートケーキ
この写真酷い。
撮って確認しなかったから。
でもこれしかなかった。
ナッペもデコレーションも下手くそだけど、上にイチゴとか飾るとなんだかごまかせるね!
あと、写真も下手だからわかりづらい。アラが見えなくて良いね。
友達の家にはこれをカットして持って行きました。
パーティーも一段落して友達の家でトイレをかりて、
ふぅーと、座って前を見ると
なんと、家訓が紙に書かれセロテープで貼られている。
徳川家康と伊達政宗の遺訓からチョイスしたもの。
何書いてあるのかチンプンカンプンだけど、徳川家康って書いてある時点でもう立派なものに違いない!
セロテープでラフに貼られているけど、内容は全然ラフじゃなくて、むしろ漢字が読めない。
トイレですっきりしたはずなんだけど、なんかモヤっとしたまま出てきて
友達に家訓について聞いてみると、
教えてくれました。
Yahoo知恵袋が。
感動したからこちらでも紹介。
以下Yahoo知恵袋より。
長いけどそのまま載せます。
仁に過ぐれば弱くなる。
義に過ぐれば固くなる。
礼に過ぐれば諂(へつらい)となる。
智に過ぐれば嘘を吐く。
信に過ぐれば損をする。
気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備ふべし。
倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり
この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし。
朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし。
元来客の身に成れば好き嫌ひは申されまじ。
今日行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇申すがよし。
伊達政宗遺訓より
人のためを思う気持ちが強ければ自分が弱くなる。正しくあろうとする気持ちが強すぎれば考えが固くなる。人を尊重しようとする気持ちが強ければ媚になる。利口なだけでは嘘吐きになる。人を信じるばかりではだまされて損をする。
穏やかな気持ちで倹約し、蓄えをすることだ。倹約とは、自分が不自由であることを我慢することである。
自分は、この世に来た客と考えれば辛いこともない。
食べ物がまずくても褒めて食え。客なんだから好き嫌いを言うな。
過ぎ行く一日を大切にし、身内の者たちに感謝の挨拶をして、この世に別れを告げるのがよい。
◆以下、解釈
仁義礼智信に関しては、いずれもが大切な価値観とされているものですが、諸刃の剣なのであり、妄信すれば害悪にもなることを意味します。
これはけっして奇抜な概念なのではありません。
たとえば2200年も前、古代中国の「韓信」もまた、「十禍」として、たとえば「仁ゆえに人を殺せぬ者」「信ゆえに誰のことも信じてしまう者」「智ゆえに恐れを知らない者」などは、組織をまとめることはできないとしています。
つまり、価値観というものは、正しいことであっても教条的に信じ込んではならない、妄信して、やりすぎてはならないということなのです。
そのあとの言葉はすべて、人の、この世へのあり方を言っています。
基本にあるのは、自分はもともとこの世にあるものではなく、「この世に来た客なのだ」という考え方です。
つまり、自分は、今はただこの世に居させてもらっているだけなのだ、いつかは帰らなければならないのだ、という考え方です。
ただの客であるからこそ、贅沢にうつつを抜かしてはならないし、好き嫌いなど言うべきではない。それなら、死ぬとは、みなに挨拶をして「帰る」ことなのでしょう。
戦国時代、最強クラスの大名であった彼は、幼い頃から実の母に憎まれ、殺されかけたこともありました。
「自分はこの世の客である」という考え方は、そんな中で成り立っていったのでしょうか。
死ぬことを、あの世へ行くと考えるのか、帰ると考えるのか、それによって、この世での生き方は大きく異なるものになるのでしょう。
素晴らしい。
この家訓友達の家からのれん分けしていただき、
只今母ちゃんちのトイレにもラフにセロテープで貼られてます。
感動した方!のれん分け致します。どうぞ。
ママ友と山ちゃんが保育園に行っている間にXmas会を。
二人とも下の子がいるからゆっくりは出来なかったけど、
楽しいパーティーだった♬
友達は家も綺麗で、おもてなしの仕方もスマート。
私は友達を呼ぶとバタバタしちゃうし、スマートには程遠い。
見習おう!って思った。
持って行ったケーキはクリスマスらしくショートケーキ
この写真酷い。
撮って確認しなかったから。
でもこれしかなかった。
ナッペもデコレーションも下手くそだけど、上にイチゴとか飾るとなんだかごまかせるね!
あと、写真も下手だからわかりづらい。アラが見えなくて良いね。
友達の家にはこれをカットして持って行きました。
パーティーも一段落して友達の家でトイレをかりて、
ふぅーと、座って前を見ると
なんと、家訓が紙に書かれセロテープで貼られている。
徳川家康と伊達政宗の遺訓からチョイスしたもの。
何書いてあるのかチンプンカンプンだけど、徳川家康って書いてある時点でもう立派なものに違いない!
セロテープでラフに貼られているけど、内容は全然ラフじゃなくて、むしろ漢字が読めない。
トイレですっきりしたはずなんだけど、なんかモヤっとしたまま出てきて
友達に家訓について聞いてみると、
教えてくれました。
Yahoo知恵袋が。
感動したからこちらでも紹介。
以下Yahoo知恵袋より。
長いけどそのまま載せます。
仁に過ぐれば弱くなる。
義に過ぐれば固くなる。
礼に過ぐれば諂(へつらい)となる。
智に過ぐれば嘘を吐く。
信に過ぐれば損をする。
気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備ふべし。
倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり
この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし。
朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし。
元来客の身に成れば好き嫌ひは申されまじ。
今日行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇申すがよし。
伊達政宗遺訓より
人のためを思う気持ちが強ければ自分が弱くなる。正しくあろうとする気持ちが強すぎれば考えが固くなる。人を尊重しようとする気持ちが強ければ媚になる。利口なだけでは嘘吐きになる。人を信じるばかりではだまされて損をする。
穏やかな気持ちで倹約し、蓄えをすることだ。倹約とは、自分が不自由であることを我慢することである。
自分は、この世に来た客と考えれば辛いこともない。
食べ物がまずくても褒めて食え。客なんだから好き嫌いを言うな。
過ぎ行く一日を大切にし、身内の者たちに感謝の挨拶をして、この世に別れを告げるのがよい。
◆以下、解釈
仁義礼智信に関しては、いずれもが大切な価値観とされているものですが、諸刃の剣なのであり、妄信すれば害悪にもなることを意味します。
これはけっして奇抜な概念なのではありません。
たとえば2200年も前、古代中国の「韓信」もまた、「十禍」として、たとえば「仁ゆえに人を殺せぬ者」「信ゆえに誰のことも信じてしまう者」「智ゆえに恐れを知らない者」などは、組織をまとめることはできないとしています。
つまり、価値観というものは、正しいことであっても教条的に信じ込んではならない、妄信して、やりすぎてはならないということなのです。
そのあとの言葉はすべて、人の、この世へのあり方を言っています。
基本にあるのは、自分はもともとこの世にあるものではなく、「この世に来た客なのだ」という考え方です。
つまり、自分は、今はただこの世に居させてもらっているだけなのだ、いつかは帰らなければならないのだ、という考え方です。
ただの客であるからこそ、贅沢にうつつを抜かしてはならないし、好き嫌いなど言うべきではない。それなら、死ぬとは、みなに挨拶をして「帰る」ことなのでしょう。
戦国時代、最強クラスの大名であった彼は、幼い頃から実の母に憎まれ、殺されかけたこともありました。
「自分はこの世の客である」という考え方は、そんな中で成り立っていったのでしょうか。
死ぬことを、あの世へ行くと考えるのか、帰ると考えるのか、それによって、この世での生き方は大きく異なるものになるのでしょう。
素晴らしい。
この家訓友達の家からのれん分けしていただき、
只今母ちゃんちのトイレにもラフにセロテープで貼られてます。
感動した方!のれん分け致します。どうぞ。