この文を読んで、心において置きたいと思いました。
忘れないためにも、ここに残しておこうと思います。

◆すぐ手を出すな 口出すな◆

「みどりの東北元気キャンプ」で、支援者が携えていた言葉は、このようなものでした。



「ちょっと待て すぐ手伝うな 口出すな よく見 よく聞き よく考えよ」

言うのはたやすいのですが、実現していくのはたやすいことではありません。



これは、キャンパーたちに共有されていた支援の原則ですが、このキャンパーの姿勢が、一番象徴的に示されるのが、シャワークライミングです。

少なくとも、子どもの心をケアする場では、安心・安全の確保が最優先になります。その一方で、子どもに「不安や不快感を自身の力で乗り越えていく体験」を与えなければなりません。不安が自ら動くことで消えていく体験を与え、自分でそれを消すことができ、不安の解消が強い快適さと自信を与えることを実感させなければ、心のケアにはならないのです。



◆シャワークライミングでの3センチの我慢◆

「自分の力で・・・」ということを実現するのは、たやすいことではありません。

大人の側が「自分でやりなさい」と語ったら、それは「自分でやった」ことにはならないからです。

「自分でやりなさいと言われてやった」ことになります。

それほど、「自分の力でなしとげた」と、思わせることは難しいのです。

支援者は、安心・安全を確保させ、緊張や不安を伴う難しい課題を与えつつ、失敗しても大失敗にならないように下支えするのですが、下支えされているとは、あまり気づかれないように行うのです。

上の写真をご覧ください。子どもの前方から差し出されるピンクの軍手ですが、手は差し出しているものの、子どもが体勢を整えて、自ら掴むまで、この位置から子ども寄りに差し出されるわけではありません。「掴んで」などの言葉も言いません。その枝のような手を使うのも使わないのも、子どもの自由なのです。

注目していただきたいのは、その後方の女性の両手です。これがキャンパーたちが通称で呼んでいた「3センチの我慢」の姿です。

子どもの背後から手を添えます。でも、子どもの身体には触れません。そこに手があることを子どもは知りません。



子どもの身体と支援者の手の位置の距離・・・それが3センチにするという意味で、「3センチの我慢」と読んでいるのです。



万一、子どもが滑ったときに、たまたま、そこに人の手があったかのように子どもを受け止めるのです。

そして、子どもを受け止めたら、その位置のまま動かしません。ぐっとこらえます。

子どもが姿勢を整え、再度、上に向かい始める前まで、その位置のままで、子どもを木の枝のように支えます。



下の写真のキャンパーも、身体全体で子どもを受け止めるような姿勢でいます。この瞬間に、水の勢いに押されて子どもが滑ってきても、たまたま、そこに身体があったかのように受け止めるのです。



「自分で頑張った」と本当に子どもが思えるには、キャンパーたちが中腰で、ずっと子どもの転倒が一大事にならないように支援しつつも、支援されたとは思えないような形にする必要があるのです。



子どもが本当に自分で頑張ったと思えたなら、子どもは支援者に感謝はしません。

「ありがとう」などとは言いません。

子どもから感謝されるようでは、気づかれないように支援しているはずの大人の方が未熟なのです。