宅配便のお兄さんの声が聞こえなくなるまで、わんわんは洗面台の前で固まってた。
声が聞こえなくなって、玄関ドアがガチャンと閉じる音がしてハッとした。
まだはだかんぼだ(笑)
「なんかね~、なんかびっくりしたー(笑)」
「はは」
シャツを着たりスカート穿いたりしながら、えへへって照れ笑いしたりして。
服を着てリビングに向かうと、灰皿が目に止まった。
あ…まずいや。
吸い殻をひょいとつまみ上げた。
「?いいよ、別に」
「…口紅付いてるから」
「ああ」
ご主人さまが結婚する前に、何度かご主人さまの実家に上がったことがある。
いつも「いいよ」って言われてたから、吸い殻はそのままにしてたんだ。
ご主人さまのタバコとは違う、わんわんの細いメンソール。
もし、おうちの人に何か聞かれても、彼女が来たとか何とか言って済ますんだろうな、って思ってたから。
…でも、さすがにそういうわけにはいかないもん。
もう、いかないもん。
口紅の付いた吸い殻を摘まんで、ティッシュでくるくる包んでバッグの中に押し込んだ。
「鍵してくから」
「うん」
「先に出てて。追いつくから」
「はい」
ご主人さまにそう言われて、何も考えずに玄関のドアを開けた。
開けて、一歩踏み出してから(あっ!)と思った。
ご主人さまの実家から、仲良く一緒に出たら変だ。
ご主人さまがそこまで考えて「先に出て」って言ったのかは判らない。
もしかしたら、ホントにただ鍵を閉めてくから、ってだけの話しかも。
でも、わんわんは(変だ)って気付いてしまった。
気付いたら、自然と足が速くなった。
速くご主人さまの実家から離れなくちゃ。
三軒くらい先のおうちの人が、庭先で水を撒いてた。
ご主人さまと一緒じゃなくて良かった。なんかもう消えたい。
とことこ歩き続けたら、後ろから足音が聞こえてきた。
足を進めながら、不自然じゃない程度に顔だけでチラと振り向いて見た。
ご主人さまだ。あとは誰もいない。
立ち止まって待ちたくなった。
でも、待っちゃいけない気がする。
ご主人さま、「追い付くから」って言った。
自然とご主人さまが追い付いてくれるまで、わんわんは立ち止まっちゃだめだと思った。
とことこ
カッカッカッ
とことこ
カッカッカッ
数メートル後ろの人を待てないんだ、わたし。
下唇を噛んだ。
速く追い付いて、って思った。
何かに抵抗するみたいに、少しだけ進みを遅くするのが精一杯。
これでご主人さまの進みも遅くなったら凹むなあ…なんて考えた。
大きくなってくる足音にホッとする。
「今日は暑いなあ」
「ねえ(笑)」
ご主人さまがわんわんの隣まで来てくれた。
進む速度がおんなじになった。
さっきまで泣きそうな気持ちだったことは、ご主人さまにはないしょ。