人のこころは縛れない
と、ご主人さまは言うのです。
本当にその通りだと思う。
自由なこころが誰かに向いていて、
誰かの自由なこころが自分に向いていて、
一緒に居るのが1番自然なのだと思う。
私がご主人さまに「こっちを向いていて」と言えないのは当たり前のことで、
もし言った結果としてこっちを見てくれるなら、それはすでに意味がないのです。
なぜなら自由じゃなくなってしまっているから。
自由なご主人さまのこころが私を見てくれるならとても嬉しいけど、
そうでないなら嘘やら義務やらわけのわからないものが介在してしまう。
「私のこと好き?」
「好きだよ」
それは、こんな会話と同じくらい意味がない。
一見自由意思な発言に見えるけれど、
限りなく誘導尋問だと思うもの。
そして逆もまた然別。
縛れない代わりに縛られないこころは、自由に誰かに向くのです。
ご主人さまに「こっちを向くな」と縛られることもない。
私のこころは、向きたいようにご主人さま向きでいて良いのです。
それが縛られないということ。
縛られない私のこころは、ふわふわ自由にご主人さまを好きでいて、
でも誰のことも縛らない。
それでいい
それがいい
それが自然
それが自由