寝るより楽はなかりけり -5ページ目

寝るより楽はなかりけり

システムエンジニアならではの話や音楽の話、時事ネタなどをつらつらと。
少しの人にだけでも刺さればそれでいい。

どうもどうも。また久しぶりになってしまった。今日はお休みで人間ドックでした。まずまずの結果。一安心したので飲みに出かけるところです。


さて、本日はこちら。












議論やディベートというのは何か物事を決定するときやアイデアを生み出す場合にとても大切だと思うのだが、昨今、何かとひろゆきさんこ事を論破王と呼んだり(ひろゆきさんのことをよく見てる人は彼が決して相手を打ち負かそうと論破しようなんて全く思ってないのはわかるはず)、論破する事がなにか凄いこと、敬うべきことのように取り扱われていることにとても疑問を感じている。それと、その内容。論破とは論理的に相手を説得することだと思うが、なにか論破とは「事実を正しく知ってる事で実現する」という認識の人が多いというところ。論破自体に価値があるかどうかは別に置いておいたとしても、正しいことを知ってる事が全てでもなければ必須条件でもない。議論で大切なのは論理性。もちろんそのベースとなるエビデンスや統計は疎かにして良いとは思わないが、論理性を抜きにしてその知識や事実確認の正確さだけでは論破は成り立たない。それがわかってないというか、どうしても頭の弱い人はわかりやすい帰着に流れがちである。白黒つけたがるのだ。1+1=2が正しいが、なぜ1+1=2になるのか、論理的に説明しなければ、論破は成り立たない。それともう一つ。正しいことを言うだけではもう現代は価値が低い。Google先生に勝てる人間はいない。もちろんインターネットの情報は嘘もデマも出鱈目も有象無象の海だなんて事は当たり前だ。しかし人間が持ち得る知識の量と正確性はたかが知れている。人間に価値があるのは知識と知識を繋ぎ合わせて、さらに経験値と感覚を加えて新たな価値を生み出す点である。メモリーよりCPUに価値がある。とにかくここのところの、「あ!それ正しい!調べたらわかるだろ!間違えてる、はい論破!」という浅はかなやりとりに辟易している。

では、また。