さて、昼の散歩だ。なかなか習慣化してきたと思う。全く億劫と感じないし、こうして何かしながら歩くことで脳もリフレッシュされて良い。子供の頃、なぜおっさんは散歩なんてするんだとか思ってたけどこの年齢になりやっとわかったは感じだ。
さで本日は、こちら。
すらたけ@slatake
格差をなくしたい人間て、単に自分のところに金が入ってこないからたくさん金が入ってくる人間を羨んでるだけに過ぎない。本当に無くしたいのなら自分が死ぬほど金を稼ぎ、貧しい人に配分すればよい。どこかの誰かさんみたいに。
2021年09月13日 12:00
何の件でも同じだが、物事を何か世に問うとか批判する場合、人はある種のポジショントークと感じたら説得力がないと思うもの。これを理解していない人たちが多いように感じる。
たとえば、
格差社会反対!格差をなくそう!
これは一般的には富裕層が言えば説得力がない、と思われてしまいがちだが、自分は真逆に捉える。格差を無くそうと貧しい人が言うと説得力がないと感じてしまうのだ。貧しいといっても色んなレベルもあるし理由も異なる。しかし格差を無くそうと言ってる貧しい人に問いたい、「あなたはなぜ格差を無くしたいと思っているのか。自分への収入や富が増えてほしいと言う欲求があるだけではないのか」と。
格差のある社会は人類のこれまでの歴史からすれば今のところ健全な社会という結論に至っている。社会主義が崩壊した歴史を見れば明らかだろう。無論、格差が社会の何らかの歪み(何者かの不当な行為によるもの)で成り立っていると仮定することもできるかもしれないし、事実はわからない。しかしもっと身近な世界でモノを捉えればもし格差を本当になくしたいと言うのであれば、自分よりさらに貧しい人に、自分の富を分配するというケースも考えなくてはならない。格差を無くすこととは富の平準化とするならば、自分が世の中の平均値以下であれば富は増えるが平均値を少しで上回れば富は減る。
格差を無くそうと言ってる人間はこの覚悟があるのか。日本国内だけの話をするのか、はたまた世界中の話をするのかでまた変わってくる。日本は落ちぶれたと言ってもまだまだ裕福な国だ。明日食べるものに困るレベルで生活する人も世界にはまだまだ沢山いる(ファクトフルネスによると世界は確実に良くなってきているが)。これらの国の人と比べると殆どの日本人は富の平準化にて富を今より減らすことになる。
これを聞いてもまだ格差社会反対、と言い切れるのだろうか。
社会に何か問うのは勝手だが、本当に社会のためを考えて言っているのか、自分のためなのか、胸に手を当てて考えるべきだ、と冷静な人間は思うものである。

