今回の問題提起でよく分かったのは、やっぱり93年の河野談話について日本政府はロジックの再整理をしなければならないということ。従軍慰安婦について国の強制連行を認めたような93年河野談話に対して実は2007年、安倍内閣は重要な閣議決定を行った。

軍や官憲が慰安婦を強制連行したという証拠はないと安倍内閣は2007年に閣議決定した。これが日本政府の見解である。僕は日本人だから、日本政府のこの見解に拠って立つ。また僕は歴史家でもないから、日本政府の閣議決定をわざわざ覆すような資料収集の作業はしない。

だから韓国側に、日本国が強制連行したという証拠があるなら示して欲しいと言ったのです。韓国側の主張を一切認めないと言うことではなくて、証拠を出してよ、ということ。そしたら韓国メディアは、証拠は河野談話だと来た。完全なトートロジー。

ここを日本国民はしっかりと認識して韓国と正面から議論しなければならない。こういう一番肝要なところを、93年河野談話は逃げた。それで日韓の信頼はがた崩れ。これこそ政治の責任だ。口から泡飛ばして激論したらいい。何が問題で、相手の立場のどこに配慮をしてあげるべきなのかを真剣に考える。

日本政府は93年の河野談話に関し、2007年に強制連行を裏付ける証拠はなかったと閣議決定した。にもかかわらず韓国は強制連行の証拠は93年河野談話だと言う。河野談話を今のまま放置するわけにはいかない。日本軍が慰安所の運営に関与していたのは事実だ。これは戦争下でしかも施設が施設だから

現代社会にあっても風俗店についてはきちんと公が監督している。慰安所について公が監督するのは衛生管理・秩序維持の観点から当然だ。問題は慰安婦が、その意思に反して強制されたかどうか。ここが一番のポイント。しかし日本側にはそれを裏付ける証拠がない。

済州島のメディアが現地調査しても日本国が慰安婦を強制連行した事実を裏付けることはできなかった。だから僕は韓国側に証拠を求めたのだ。証拠が出てきたら、それは謝らなければならない。強制連行はどういう理屈でも正当化はできない。しかし慰安婦を日本国が強制連行した証拠は未だ存しない。

この話と慰安婦に対する同情は別問題。色んな事情で不本意ながら慰安婦になり、心身ともに苦痛を被ったということに関してはその苦痛を察してあげなければならない。これは日本人で同じような境遇の人の話を聞いても同じ。ただ不本意と強制はまったく異なる。

93年河野談話は「本人の意思に反して」とうい言葉で誤魔化した。政治の最大の責任だ。これは不本意と言う意味なのか、日本国が強制したという意味なのか。ここをはっきりさせる必要がある。後者であれば謝罪は当然。しかし今のところその証拠がない。だから韓国側に出して欲しい。

強制がないのであれば、当時の社会状況からして慰安所をどう捉えるか。軍人の秩序を保つためいわゆる慰安所が存在したのは日本だけではないし、風俗業は今でも世界各国に存在する。慰安婦と同形態の風俗業も存することは確かだ。問題は慰安婦が国家によって強制連行されたかどうか。

この点真正面から韓国と議論すべきだろう。慰安婦が強制連行された証拠が93年の河野談話だと韓国メディアが言っている状況を日本政府は放置しておくのか。2007年の強制連行を裏付ける証拠はなかったとした閣議決定との整合性はどうなんだ。日本の国会議員、外務省、しっかりしろ!

ただね、僕は隣国同士、こういうことでいがみ合うのはよろしくないと思う。従軍慰安婦の問題が根っこにあるなら、真正面からしっかり議論して、謝るべき事実があればしっかりと謝ればいい。事実が出なければ謝るべきではない。ここで外務省がしょうもない答えを政治家にさせる。1965年日韓基本条約

こういう問題のときにね、1965年の日韓基本条約で解決済みなんていう官僚答弁をして相手とのコミュニケーションをとれるわけがない。知事時代も、部局からこういう形式答弁が出てきて、何度も突き返したよ。これは裁判所が形式論理で下す判決の手法。対人コミュニケーションではご法度だ。

ところが役所はこの形式論を展開する。1965年の日韓基本条約で解決済み!と言ったら、強制連行の事実があったのかなかったのか全く分からないじゃないか。まさに官僚答弁。基本条約がどうであれ、真正面から慰安婦の強制連行の事実の存否を議論したらいいんだ。納得するまで。

本当に強制連行の事実があったなら、次は1965年の基本条約で解決済みになったかどうかの議論になる。和解の対象にきちんと入っていなかったら、確かに和解錯誤無効と言う法論理もある。だから1965年の日韓基本条約で解決済みなんて言っても何の解決にもならない。官僚のロジックを正すのが政治

1965年の日韓基本条約があろうとも、慰安婦の強制連行があったのかどうかをしっかりと確定すべき。2007年に強制連行の証拠はないという閣議決定をやったなら河野談話は見直しするしかないでしょう。韓国側に河野談話以外の強制連行の証拠を求める。

もしその証拠が出てきたら、次に1965年の日韓基本条約の射程範囲を考える。役人は簡単な理屈から入る。だから1965年条約から入る。政治家は事の本質から入るべき。竹島問題でここまで日韓紛争が国民の知るところとなった。根っこの慰安婦問題を決着させる最大のチャンス。これこそ政治だ。

領土問題は、実体論の主張をぶつけ合っても何も解決しない。裁判で原告被告がそれぞれ自分の主張を言い合っているようなもの。結局1905年の竹島の島根県編入前、1904年第一次日韓協約において韓国の外交権が日本に制限されたかどうかの評価。韓国は主権制限下の一方的編入だと主張する。

領土問題の解決は2つ。①相互譲歩による合意。②強制解決の装置を作る。①は領土そのもので譲歩しなくてもいい。相手が望むもの、しかしこちらにとってはあまり不利益でないものを相手に提供して領土は得る。相手に何も提供せずにこちらが100%得るものを得るなんてあり得ない。

交渉で解決するならお互いに何かを譲歩をしなければならない。領土で譲歩するか、領土以外で譲歩するか。それともう一つは強制解決の装置。国際司法裁判所は強制装置にならない。相手が同意しないと提訴できないからだ。だからこの仕組みを作り直す外交戦略。難しいけど。

相手が同意しなくても何らかの要件を満たせば裁判所が動く仕組み作りに奔走する。これが譲歩しない場合に領土問題を解決する外交戦略だ。それと言うべきことやるべきことをやったら早く事態を収束させる。これも喧嘩の鉄則。この事態収束のきっかけを作ることこそ政治家の天才的能力が試される

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翌日のツイート

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慰安婦問題について。僕は歴史家ではない。今の立場は政治家であり、法律家でもある。ゆえに国家の意思表示を基に論理を組み立てている。93年の河野談話と2007年の閣議決定。この2つの存在が混迷の原因。そして法的には河野談話と閣議決定では明らかに閣議決定の方が上。閣議決定こそ政府の意思

2007年の閣議決定では、河野談話を出すまでの調査において、慰安婦を強制連行したことを直接示す証拠はなかったとなっている。そうすると考えられるロジックとしては、直接証拠はないが様々な間接証拠・状況証拠の積み上げで河野談話の結論に至ったとういうロジック。

ここで問題なのは、そのように間接証拠の積み上げで結論を導いたなら、その証拠評価の論理過程を明確に示すこと。状況証拠で結論を導くのはほんと難しい。これは判決を書くときの論理として確立している。いずれにしても河野談話が元凶。

日本政府は93年河野談話と2007年閣議決定の関係をきちんと説明すべき。閣議決定では強制連行の事実を裏付ける直接証拠はないとした。河野談話は閣議決定もされていない当時の官房長官の「談話」に過ぎない。日本政府は官房長官談話で逃げた。いかにも官僚的発想。

慰安婦問題について、正式な日本政府の見解をしっかりと示すべき。直接証拠がない中で、強制連行を認めるなら、どのような間接証拠の積み上げでそのような結論に至ったのか論理過程を示すべき。その論理過程を言論の場に晒すべき。それとも河野談話は強制連行を認めたものではないとはっきり言うべき。

この過程において日韓関係が若干ホットになるかもしれないが、これは日韓関係を成熟したもう一つ上のレベルに上げるための良いホットだ。今のまま、日韓双方がもやもやした状態でいる方が最悪。新しい日韓関係を築くためにも、河野談話の見直しに入るべき。官房長官談話ではなく政府見解に昇華すべき。

慰安婦問題とは何か。軍はどのような関与をしたのか。慰安婦の強制連行はあったのか。慰安婦の存在、慰安所の存在は当時の時代背景からしてどのように評価すべきか。証拠としてどのようなものがあるのか。韓国の怒りは前述のどこにあるのか。再度、腰を据えて取り組むべきだ。


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いやはや、すごくマトモなんだが・・・

石原慎太郎知事や安倍晋三などと交流が激しいので、もっとやばい系の考えを踏襲してるのかと思ったら、すごくこの問題に関してはクリアでした。

ただこの考えだということは、自民党や石原氏とは組みませんよ、と暗示してるように思うのですが、どうなんでしょう。
自民って、慰安婦の問題を迫る韓国には一切妥協するなっていう姿勢でしたよね?