日本臨床心理学会が会員5名を訴えた裁判の控訴審判決が、来週の今日、

10月31日に出ます。

 

この裁判がなぜ必要だったのか、その理由を、訴えた側が発行している機関誌の中に書かれているだろうと思った私は、2015年9月4日(事件の発端となった定時総会)以後に、原告の日本臨床心理学会から発行されていた印刷物とHPの記述を探しました。

 

そして、唯一、明確に理由が書かれている記事をやっと見つけました。

 

そこには、「運営委員会を激しく批判してきた「一派」に、「のっとられ」そうになったので、それを裁判で「排除」したとの旨が、書かれていました。

 

ところが、これを書いたのは、裁判の関係当事者でもなく(つまり「訴外」)、運営委員(執筆当時)でもない、古くからの会員の佐藤和喜雄さんでした。

 

この佐藤さんの記述の中には、その「一派」が、どんな立場の誰誰なのか、その人々が運営委員会の何を批判したのか、そして、どのような出来事を「のっとり(実は、未遂)」とみなしているのか…といった具体的説明はありません。

 

提訴の当事者(原告)自身からの具体的な提訴理由は、じつは、裁判の場でも、文書でも口頭でも(つまり公に)、陳述できていないのです。

だから当然、判決文には、支払いが命令された金額の積算内訳は書かれていません。

 

……じつは、それらは、当たり前と言えば当たり前です。

 

なぜなら、この裁判では、「のっとり」が企まれていたのかどうか、なんてことは、争点ではなかったからです。

 

だから、機関誌『臨床心理学研究』55-1号の中で、佐藤和喜雄さんが断定的に書かれている、悪い「一派」が「のっとり」を企んだので、「排除した」という文章が書かれた目的は、プロパガンダの一つなのです。

 

つまりこの佐藤さんの文章は、一般会員と一般社会に対して、宣伝する側にとって都合のよい考え方を広めて植え付けるための、宣伝工作になってしまっています。

 

もちろん、佐藤和喜雄さんは、この学会が創設された1964年来、ご自分の愛してやまない日本臨床心理学会の一大事!?との危機感から、発奮して書かれたことでしょう。

 

日本臨床心理学会が、学会のお金をたくさん使って、事後承諾的に、会員5名を訴えたという、誰にも打ち消せない、明らかな事実が裁判所の記録に残ります。

 

この提訴という事実を正当化するためには、つまり「自分たちが正しかったのだ」と言い切るためには、「相手が間違っていた、悪だ」と言い切らないといけません。

 

同時に、自分たちが引き続きいまやっていることも絶対的に正義だ、と思いたい人たちは、「自己暗示」をかけて自信をつけたいのかもしれません。

 

けれども、たとえば被告の私自身でさえ、このような内部紛争は、どっちもどっちのところがあると、第三者からは見えるということが分っています。

 

だからこそ、日本弁護士会の民間調停機関での、「和解あっせん」を、2015年9月17日に申込みました。

法律専門家(弁護士、司法書士等)3名の第三者が立ち会う、話し合いの場です。

 

これにぜひ谷奥さんたち当時の21期の運営委員会に応じていただきたいと願って、私は選挙管理委員の立場から申立てをしたのです。

その際には、調停機関窓口の了承を得て事前に私からも、谷奥さんと、当時同じく選挙管理委員だった佐藤さんに、資料とお願いの文を送りました。

 

谷奥さんからの直接の回答は無いまま、調停機関担当者から、「和解あっせん」の話し合いの場へのお招きに応じて頂けなかったとの回答がありました。

 

佐藤さんからは、資料受け取りの葉書がありました。

ですがその2年後の2017年8月に刊行された、『臨床心理学研究』55巻1号の佐藤さんが書かれた箇所に、当時の私からの申立てや添付資料の内容については、全く取り上げられることはありませんでした。

 

「一派」「のっとり」という言葉で、経緯がまとめられてしまっていることが、どれほど、「一派」と呼ばれ「のっとり」を企んだと一方的に断じられた相手を傷つけてているかということが、佐藤さんにはお分かりなのでしょうか。

それが、佐藤さんが信仰される金光教の神が、書けと示されたことなのでしょうか。

 

佐藤さんが書かれた、実際の裁判とはかけ離れた「物語」が、紛争原因の説明として一方的に文章に残されて、語り継いでいかれようとしています。

原告組織側のみが「正しかった」ことを歴史に残すという目的のために、です。

 

争いごとに関わる「昔話」「説話」は、生き残った勝者の側から語られるという、「物語」の生成システムが、いまリアルタイムで観察できているというわけです。

 

公式の「書かれた歴史」📖 として、片寄った見方が残される現場にも、私はいま立ち合わされているようです....。

 

この雑誌『臨床心理学研究』は、国立国会図書館に献本されています。

日本の臨床心理学の歴史を調べたい人が、いま、図書館で見つけられる印刷資料は、この佐藤さんが書かれた記事しかありません。😿