1980年代、民俗学者小松和彦は、「異人」という概念を提唱した。

 

「異人」とは、柳田國男と双璧を成す折口信夫の「まれびと」論に発想を得た小松が独自に展開した分析概念である。

 

「異人」とは、ある集落(組織・集団)に外部から訪れ・闖入し、紛れ込んでくる、<よそもの>だ。

その「正体の確かでない」<よそもの>は、もっぱら、「中心と周縁」、「日常と非日常」、「秩序と無秩序」のうち、後者を引き受けさせられる。

 

小松の「日本文化の闇」のフォークロア(中沢新一)は、たんに日本文化の深層を昔話や伝承から掬い上げるのみならず、いま現在の日本社会の相貌の一つを如実にもの語っている。

 

この概念は、わたくし自身が帰属する組織との関わりの中で生起した事象を理解するための参照枠として有効であった、つまり腑に落ちることが少なくなかった。

 

近年の日本臨床心理学会(ムラ組織)へのアクティブリサーチand/or関与観察にあっては、関与観察者から飛躍した「異人」としてムラ組織から見做しを受け、徹底排除対象の当事者の役割をいま現在、実体験する立場に在る。

 

「異人」は、徹底排除すなわち殺害されてこそ、ムラの日常と秩序は回復されるとの信念/習俗が、そこに顕在化した。

 

しかし、「異人」が侵入する以前の日常ではない日常、「異人」が侵入する以前の秩序ではない新たな秩序がそこに必然として現出せざるを得ない。

すでにムラは、寸分違わぬ元通りの姿に戻ることは、望み難い。

 

「異人」は、ムラが再統合されるための、人柱である。

 

日本臨床心理学会ムラの例で言えば、「異人」たちが提唱した、東亜との学術交流、宗教学・民俗学との学際交流、ヒアリング・ヴォイシズ運動の展開、長年の多選役員の学会執行権私物化への批判的見直し、等の方向性を、ムラ人らが許容できる水準で採択しつつある。これが、最新刊の機関誌と、2017年度水戸大会のプログラム構成および総会にての多選を防止する会則改訂議案提出から看取できる。

ただかれらムラ人らは、「異人」たちを殺害しその口を封じることに依り、自分たちの独自の手柄としてまた、主体的な提案事項として、これらの事案を堂々と表明する。例によって例のごとくだ。

このやり口が、これまでのかれらの方法論であった。

1991年に和光大学グループを排除するまでの、過去の栄光を、いま現在の自分たちの拠り所としているのと、全く同一の構造である。

 

ただ、26年前は、かれらムラを動かす権力を「のっとった」人々は、そのときかれらが追い出した人々を、司法権力を用いてさらに追撃することはなかった。

 

しかし、いまは、既に人柱として排除したわたくしたちを、さらに徹底的に殲滅するために、かれら古参のムラ人は、なりふり構わぬ恫喝SLAPP提訴を断行している。

 

「人柱」となった異人が祟らない、などと誰が言った?

 

 

「異人殺し」の論考に関して、詳しくは、小松和彦『異人論』(1985)、赤坂憲雄『異人論序説』(1985)『排除の現象学』(1991)等をご参照ください。