このブログでは先々月来、「(仮称)弱者との共生学会」の3年前に、大きな会則改訂、すなわち、会員同士の路線対立を「永久除名」によって排除し合えるようにした項目を付加する議案が、当時の現任執行役員8名・前執行役員3名と一般会員1名の「総会」で審議・決定された際の議案書を題材に報告連載してきた。

 

 なぜこの3年前の議案書を題材にしているのか。

 それは、この議案書の文章の各所に、本学会の根本的な問題が、まざまざと露呈しているからである。

 

 常にいまもこの学会のWeb上の「公式サイト」に掲げ続けられているのは、国の制度により、他の「障害者」からも区別され、社会の底辺に位置づけられている「精神障害者」をはじめ諸々の社会的弱者に寄り添い、その人々に学び、共に歩み、共に生きるという理念である。

 

 しかし、その理念とは正反対の隠されて来た実態が、一昨年末に露呈した。

 この学会を1991年以後に主導してきた勢力が、精神医療の被害を受けた「言葉」を持つ患者と元患者・患者家族を支援するグループの代表(個人)を相手取って、根拠なき1000万円の損害賠償訴訟を、提訴した。

 

 その提訴費用(裁判費用、弁護士費用、関東から関西への6名の役員の旅費を含む裁判傍聴出張費等)は、すべて、この学会の資産から、最高議決機関である総会に先んじて支出された。

 

 これは、恫喝(SLAPP)訴訟である。

https://ameblo.jp/slapp-nyan/entry-12276863346.html

 

 つまり、強者が、強者にとって都合の悪いことを知っていて、それを社会に公表する可能性のある弱者を黙られるための、司法権力を悪用した合法的な手段である。

 日本では、この卑劣な強者による弱者イジメを、法的に規制する手続きが未だ存在しない。

 

 なぜならば、立法をはじめ社会に変化をもたらす方法は、全て強者の手に握られているからだ。

 

 それをいいことに、SLAPPは、密かに蔓延している。

 

 それが、あくまでも「密か」とならざるを得ないのは、この学会が現在、わたくしたち被告に対して行っているように、強者の側が、自分たちに都合のよいことのみを一方的に書き散らして主張ができる、広報手段(国立国会図書館に献本して恒久的に歪んだ勝者史観を残す)とそのための資金を独占しているからである。

 

 つまり、SLAPPする側が、提訴する最初の時点から、絶対的に優位なのだ。

 

 SLAPPすると勝てる、万一勝てなくても、相手は個人であるから、提訴されただけで、大きなダメージを受けて、その後の活動が出来なくなる。つまり、本来言いたかったことが言えなくなる。

 

 このような、精神医療被害者というまさに社会的弱者に対して、司法権力を用いた問答無用の一方的で絶対的な攻撃を行った人々が、「(精神疾患の)患者さんに学ぶ」という標語を提示し、いま現在も提示し続けている。

 

  SLAPP原告の「患者さん」とは、予め「言葉」を奪われ、

かれらの意のままに、<支援という名の支配>ができる人々のことを意味しているようだ。

 

 あと1週間後に迫った、この学会の本年度総会では、大きな会則改訂案が2種審議される予定である。どうみても、1時間半のスケジュールではこの審議は不可能だ。

 

 その会則改訂は、この学会のこれまでの路線そのものを改革するというより、むしろ一種の異議申し立てが含まれていると筆者は解している。

 

 かつて(2013年まで)に、筆者らが、本執行部の根本的問題に対し、再三再四に渡り異義を申立てし、その結実として会則改訂案8案を作成して提示した。

 

 それが、筆者らを排除した次期執行部の息のかかった元役員と議長の議事裁量により、闇に葬られていた。

 

 今回の水戸大会の会則改訂議案書には、大部の会則改訂議案が提示されている。これらのうち、第三者機関の設置、多選による独裁的運営執行の防止を図ったと思われる項目は、筆者らが提示したにも関わらず闇に消え隠蔽された4年前の議案が意図したものの引き写しである。

 

 しかし、これらもざる法となり、恣意的運用となることを制限する方策を有しておらず、選挙管理委員会の選定、第三者機関の選定、それらの手続きそのものが、運営執行部の決定に委ねられる可能性が大きい。

 

 真に中立な第三者機関に委任するとすれば、組織外に既存のADR制度があり、これを活用するという選択肢は、この議案作成者たちの念頭には、皆無のようだ。

 

 「面を革む」(表向きのかたちだけ変えて本質は同じ)ことで、現在の路線をより強固に押し進める算段が、9月29日に審議予定の会則改訂案からは、透かし見えてくる。

 

 

http://nichirinshin-o.sakura.ne.jp/wordpress/2017/09/「される側に学ぶ」という美辞の裏側:構造的差/

以下の議案が、闇に葬られた。そして、4年後の今年度大会に、これを焼き直すことで無効化(ざる法と)して、さらに現路線を強化しようと画策されている。

http://nichirinshin-o.sakura.ne.jp/wordpress/wp-content/uploads/2013/09/48a49865157d6e1f41e10f2019e279a1.pdf