9-4) 無視された退会会員からの修正申告   

 

 2014年度総会議案書第2号議案の説明文中の、心楽の会立替金についての、会計担当X氏による、萩原梓弓(仮名)への聴取に関する憶測記述(『機関誌』52-1,p77左、第2~第3段落)を修正し、萩原氏からの申告に基づいた記述に改められねばならない。

 

 下記引用メール文は、2014年9月10日付鑑文添付で学会より送付されたパンフレット(軽印刷・簡易製本)冊子体「2014年度総会議案書」の落手後直ちに、筆者が、20期半ばで退会した元役員の萩原梓弓に、当該記述内容の誤認の有無を問合せたメールへの回答である。

(一部の固有名詞を仮名にした箇所は、注記と同じく、[ ]で括る。他は、すべて本文の通り。)

 

On 2014/09/16, at 12:37:

◎○{筆者]さま

大切な事なので、当時のメモなどをみてできるだけ記憶をはっきりさせましたが、全てを思い出すことができず、とりあえず下記の事を言明することは できます。

この資料[注:9月10日付送付印刷冊子体議案書]に書かれてあることよりも、こちらが優先します。

 

1 心楽の会のあと、いただいたので、僕が混同していましたが、学会認定資格委員としての活動費と、◎○さんからはっきり言われていただきまし た。

 

2 その際、[弱共学会(本学会仮称の略称]で応用出来そうな資格をいくつかの学会に行って調べてみる、と僕が言い、そうしましょうという話になりました。ただその際、行った学会の領収証を保管しておいて、報告する義務があるとは思わなかったし、指示されませんでした。

 

3 行った学会やセミナーは、日本ヨーガ療法学会、日本統合医療学会などです。他に4つか5つ、ワークショップなどにも参加して、資格制度につい て話を聞かせて貰いました。

 

ただ、領収証は、意識して保管しなかったので、どこに行ったか不明です。

 

萩原梓弓

 

 萩原氏のこの回答を受けた2014年9月16日、筆者は本学会事務局である学会支援センター経由で、萩原・浅山(仮名)・酒木宛てに、以下の要請文[趣旨要約]を送った。

 

[前略]

 決算案説明文書作成者の理解の誤りにつき、以下にご説明します。

 

 心楽の会からは、既に前年度末の時点で、萩原さんにお使い頂いた活動費額総計を記載した領収証を、頂戴しております。

 

 それを、杉野麗子氏に、会計資料一式に含め、昨年8月の総会終了後、お送りしました。◎○としては、これで精算が完了と判断しておりました。

 

 ※立替の措置は、下記、20期酒木運営委員長決裁に依るものです。

 

 本費目は、時機的に喫緊の必須支出項目にも関わらず、平成24年8月の定時総会において承認されなかったことは、<本学会の不利益>に相当する。そこで、心楽の会活動基金から、支出を一時立て替えることにより、<本費目が目的とする事業内容を、先行して遂行する>。

 

 そして、年度内開催が待たれる臨時総会において「学会認定資格検討委員会」費目が認証可決ししだい、心楽の会は、[(仮称)弱者との共生学会]より、立て替え金総額を返還頂く。

 

 以上の経緯から、萩原さんの支出された金額を証明する領収証類は、心楽の会に提出頂くのが、本来です。

 

 既に本学会を退会された萩原さんに現「事務局?」或いは不正が疑われる選挙で選出された「21期」を称する方からの、萩原さんに対しての支出に関する問合せと領収書類提出要請は、妥当なものではありません。

 

 心楽の会が、萩原さんの裁量でご使用頂くことを全面的に信頼し、領収証の提示を要求しなかった<心楽の会独自の判断決定>が、「事務局?」或いは「21期」を称す方からの要請には優先します。

[後略]  

 

 21期の代表を称する浅山克己(仮名)からこの9月16日の要請文への反応が無かったので、再度9月22日に、回答を促す文面を事務局に送った。

 しかし、これにも回答がないため、9月27日の浅山との会合で、重ねて口頭で要請した。

 しかしながら、9月30日を名目上の刊行日とし、実際には、10月16日に筆者の手元に届いた『学会誌』52-1には、この修正要請は、一切反映されなかった。

 

 

 以上が、恫喝(SLAPP)訴訟原告が常に行って来た、対立する者への言論封じのやり方の具体例の一つである。

 

 つまり、自分たちに都合の悪いことは、一切無視して、無かったことにする。そして、その歪めた事実を、公的刊行物に記載して、自分たちに過ちがない、という証拠を捏造し、正義の立場を自作自演するのだ。

 

 今回(第一回目)の恫喝訴訟においても、このやり方をフルに用いて、一審勝訴を勝ち取ったのだ...。

 

不公正な捏造証拠に基づき、勝ち取った「完全勝訴宣言」が、いかに穢れたものであるか。

 

 そのことに一片の反省も無く、むしろ歯向かう相手を打ち倒すために手段を選ばないことが称揚されるのが、この「社会的弱者」と共に生き、共に歩むと、声高に標榜している組織であることの恐ろしさに、心の底から震撼を覚えざる。

 

(つづく)

 

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