日本臨床心理学会は、長年にわたり、「される側」に学ぶということをモットーに掲げてきました。

 

でも、その論理は、「する側」「される側」を区別した上でしか成り立ちません。

 

いったん、自分が専門職として「支援をする側」になったら、「支援をされる側」との間には、必然的に差別(かつ序列)が生じる、という前提から始まる考え方です。

 

もちろん、「支援してきた側」が、「支援を受ける側」に転換することはあります。でもその場合も立場が入れ替わるだけで、その差別の構造そのものは変わりません。

 

このような「構造的差別」と同じ図式に成り立つ理念が、「する側に学ぶ」ということなのです。

 

「構造的差別」について、誰もがご存知の例を上げましょう。

沖縄の基地問題に関わる問題群です。

そこで、沖縄「民族主義」の論客が主張する本土への批判に、「構造的差別」という用語があります。「構造的差別」とは、本土の人は沖縄人を具体的に差別しているつもりはなくても、本土の人であるというだけで差別する側だ、という論理です。

 

これに非常に近いのが、この「する側に学ぶ」という、日本臨床心理学会が掲げて来た、一見素晴らしく、謙虚にも見える、標語なのです。

 

日本臨床心理学会が、せっかくヒアリング・ヴォイシズ運動を、それがオランダで発祥した数年後に日本に導入したにも関わらず、またその当時、べてるの家との親密な交流があったにも関わらず、この学会が自らにブレーキをかけて、この運動を(半ば意図的に)広めることを怠ったのは、そのようなわけなのです。

 

ヒアリング・ヴォイシズ運動は、する側とされる側という分断を超え、専門家の間の垣根を取り除いた、つまり「する側」「される側」が生じる以前の人と人との関わりの中での恊働・共同の癒しが生じるものだったからです。

 

この在り方は、精神科医療という権威の下の中間管理職としての地位を、国家資格「公認心理師」によって地固めをしたいと願って来た人たちにとっては、邪魔な方法論であり運動であったのです。

ですから、自分たち自らが運動の主導者と標榜し、この運動の根幹の精神を歪め、結果的に衰退させたのです。

 

しかし今日、オープン・ダイアローグという、この運動のその源の精神を同じくする方法が、日本で流行しはじめています。これを、精神科医療に取り入れる(保健点数化してお金儲けができる)ことによって、「公認心理師」の利権の拡充の可能性が出て来たいま、日本流(つまりお医者さん主導の)オープン・ダイアローグにこの元々反精神医学運動であったヒアリング・ヴォイシズ運動を呑み込ませ、消滅させようとしています。

 

この方向性の宣言ともなるのが、日本臨床心理学会の今年度大会2日目(9月30日)午後の、メインプログラムの構成でしょう。

ここでヒアリング・ヴォイシズについて語るのは、この運動を初めて日本に導入した功労者の佐藤和喜雄氏ではなく、この運動に常に内部から制動をかけてきた人物なのですから。

 

 

http://nichirinshin-o.sakura.ne.jp/wordpress/