5) 49回総会報告の「整理」と著作権侵害
5-1)「整理」=抹消された記述
2014年度総会議案書第1号議案「中間活動報告」の不可解箇所の中から、前項に引き続き、『機関誌52-1』議案書内「2)運営委の課題への取組状況(2)学会誌の充実」の記載への疑義について検討する。
第2の問題箇所は、以下である。
第51巻第2号は、第49回大連大会報告及び、第49回定期事務総会報告の整理に時間を要し、大幅なページ増での発行となった。(『機関誌52-1』73頁右)
本項では、上記に挙げられた2項目の「報告」のうち、総会報告に絞り考察する。
「整理」に手間取って時間がかかったとの趣旨だ。
「整理」とは、なかなかに含蓄ある語である。
「整理」とは、乱れたものを整えること。
...であるとすれば、「報告」のための資料は論理の通らぬ、或は文書の体裁を成さない乱雑極まるものであったかに印象づけられる。
そのような資料を基に「報告」文を一から作成するのに、たいそうな工数と苦労があったとの印象に誘導される。......が、それには、筆者は異論を呈したい。
その理由は、本項末尾に記す。
「事務総会報告」が「議事録内記述」を意味するのなら、極めて簡便である。
既に筆者が作成済み議案書の各議案に可決と否決、可・否・棄権人数を書き込むのみで足りる。
しかし問題は、その「第49回総会議事録」が、既に述べたように、機関誌・広報紙の何れの公式媒体にも公示されてはいない(削除・隠蔽されている)ことだ。
「整理」は編集の世界では、取捨選択を意味する。
「新米編集者(51-2,161頁「編集後記」)」と宇津木(仮名)は謙遜するが、この用語の使われ方は、編集業務に手慣れた者の筆とも推し量られる。
一般的な用語にも、「人員整理」との言い方がある。
つまり、「整理」とは<不要物を棄てる>ことである。
要するに、「第49回定期総会議事録」は、
「整理」されてしまったのである。
根幹の問いは、誰にとって<不要>だったのかということ。
一般会員にとって、<不要>であったのか?
記載しても無意味なクズのような報告だったのか?
会則に公示義務(第19条)のある「議決事項」報告をこのように全文「整理」したのにも関わらず、「大幅なページ増」とは、いったい如何なることか。
『機関誌』51-2の(予定外の)「大幅なページ増」の原因は、以下にある。
①「第20期運営委員各自総括」前例無き付加掲載 (75ー104頁)
② 8.10選挙運営に関わる申し立てと回答の掲載 (105ー121頁)
③「第21期運営委員選出について」逐語記録の掲載 (121ー154頁)
①の企画は、淵下(仮名)からの強い姿勢での立案が、まずなされた。
これに、ちばらぎグループの女性2名(8.10の本選挙で当選した人々)らが賛同し、20期末の運営委員は、退任した人への執筆要請を含め、全員が執筆することが求められることとなった。
しかしながら、各々の執筆者には、自分の文章が機関誌に掲載されることを必ずしも前もって理解してはいなかったと思われる。
少なくとも筆者は、機関誌原稿を求められているとの意識はなかった。
事務局長として、退任或は退会した20期元役員への執筆依頼文を送る役目を負わされた筆者自身、これらの文章が機関誌に掲載される原稿となることは想定しておらず、そのような意識を反映した依頼文を作成してはいなかった。
もし、機関誌掲載との認識があったならば、執筆依頼文には、必ずその旨を記されなならなかった。
もっとも、退任者から寄せられた「総括」文は「21期」が編集した巻号からは、「整理(削除)」されていただが....。
💀それよりも深刻な問題は、
この「各自総括」が掲載されるに際して、
特定の執筆者の原稿が、無断で改変されたことであった。
(この著作権侵害事案に関しては、
議案書への論評を一通り終えて後に改めて言及したい。)
②に関しては、今回異例の「信任投票」を用いたことに起因する様々な問題の報告として、掲載されるべきものであった。しかしながら、
③は、逐語録としての掲載の云々よりも、むしろこの文面が、当時の発言者全員に、文字起こし草稿を提示されることなく、「21期」関係者のみで、編集されたという重大な瑕疵が問われねばならない。
この瑕疵により、この冗長な逐語録は、
「21期」役員にとって都合の良い印象へと誘導するための
(編集者の恣意による任意選択的な)創作物となっている。
「整理」抹消されたのは、総会議事録だけではない。
上述のように、印象誘導を臆面なく目途として、僅かでも旧来多選派への反発が生じる虞のある文章・文節・語は、置き換えられるか、概ねは「整理」され、かれらに対立した筆者らの文書には、その筆者らの訴えたいこととは対極の意図を意味する内容に置き換えて、歪曲された。
つまり著作者に無断で筆を入れる(内容を改変)か、
または「整理(削除)」した。
どのような文章が「整理」され闇に葬られたのか、その箇所こそ「21期」の人々のアキレス腱である。これは次項の考察に譲る。
なお、「時間を要し」との記述に、筆者は異議がある。
総会翌月9月末デットラインで、筆者は、51-1刊行発送の段取りを進めていた。
既に、総会の事務局報告文書類と会計資料ファイルは、全て8.10総会2週間前に完成していたのだから。
後は選挙報告と当日立候補者の所信表明、総会当日に文書で提出されるべきだった他の役員からの委員会報告書があれば、51-1号の大方の記事は8月末迄に、分担記載者にゲラ校正依頼の予定であった。それにも関わらず、
20期事務局長が既に会員に公示していた完成ファイルを、
「21期」新役員たちが、
作成者である著作権者に無断で「整理」した。
これは、会員の信託すべき執行機関としては、越権行為であり、法的に不適正な行為である。
なぜなら、第49回総会は、20期が運営執行したものであり、20期が、報告の責務を一貫して負うものであるからだ。
このこれまでの会務運営の慣習を無視し、前期の報告責務者の職務著作の作成責任を剥奪してまで、また職務著作には当らない「総括」文に筆をいれ、削除するという、「整理」行為が、淵下ら20期の人々には必要とされたのである。
(つづく)
SLAPP原告らに「整理」改変される前の、筆者が会員に送付したファイルです。