4-3)  引継ぎ運営委員会不開催の理由

 

 第1号議案「中間活動報告」の記述から不可解な点をさらに抽出する。

 

「運営委体制」の地方委員会の独自活動の廃止決定によって、旧来多選役員らの独裁的中央集権化の方針が、露わに打ち出された。

 

  地方研修委員会設置は、この真の目的を取り繕うものに過ぎない。

  同様の取り繕いは、「2014年度総会議案書」の所々に見られる。その綻びを、以下に読み解いていく。

 

 「2014年度総会議案書」中間活動報告(案)では、「運営委体制」一覧に続き、

「1. 前運営委からの継続課題について」の説明が、以下のように始まる。

 

 これまでは、第2回の運営委は、本来は、前期の運営委と合同で開き、引継ぎ等を行う予定であったが、運営委員選挙結果に対する意見の相違が生じたため、会議では、前運営委員長・前事務局長(副運営委員長兼任)・前編集委員長をはじめとした、旧運営委に出席を求めず、第20期で停滞した課題を中心に整理して活動を開始した。                          (『機関誌52-1』72頁左)

 

 不可解なのは、「選挙結果の意見の相違」が、引継ぎ会議をしない理由に如何にしてなるかである。

 

 

「意見の相違」があればこそ、

是が非でも話し合いの場を持つべきではないか。

 

それが「共生」「共に歩む」を標榜してきたこの学会が

最も尊重すべき理念であった筈である。

 

 

 第一回目の意見聴取(2014年9月27日)に、筆者は浅山(仮名)にこの文章では説明不足だと抗議した。しかし、先延ばしとされた運営委員会として公式の回答は得られなかった。

 

 おそらく筋の通った理由は無かったものと推測される。

 いま控訴審で係属中のSLAPP訴訟でも、SLAPP原告であるかれらからは、筋の通った提訴理由も1000万円の損害賠償額の根拠も、出てこない。

 

 筋が通らなくても、金の力で制圧する、

それが(近代資本主義社会の)権力の腐敗であり、

「(仮称)弱者との共生学会」を乗っ取った

<精神医療こばんざめ>たちの欲望の本態

 

 

 要するに、引継会議不履行を取り繕う「言いわけ」がこの文言(つまり、相手のせいにする。「自分たちは悪くないんだ」と。)以外に思い付かなかったのであろう。

 

 この文からは、どこかもたついた印象を受ける。

 

 冒頭の「これまでは」とは、<過去これまでの、期の変わり目では>との意味なのであろうか。ならば、「前期の運営委と合同で開き」に続くのであろう。

 冒頭文節の次に、「第2回目の運営委は」とある。しかし、<過去これまでの、期の変わり目の運営委>に該当するのは、「これまでは」第1回目運営委であった。

 そして、その次にくるのが、「本来は、」(すなわち、「本来は」「予定であったが」に続くのは不自然であるので、)やはり、これも、「前期の運営委と合同で開き」に続くと読める。

 

 要するに、これまでの慣例(=「本来」)は、<第1回目の運営委員会で>引継ぎを行わねばならなかったのに、その第1回目は、既に、自分たちだけで、旧執行部の主幹役員を排除して、勝手に単独で開催しまった、この事実を自ら暴露しているのだ。

 

 8.10総会直後はまだ、筆者ら会場運営関係者はまだ多く残り、会場撤収作業を慌ただしく行ってた。しかし、残って筆者を助けてくれていた人たちは皆、日帰りで遠方から来てくれていたので、筆者は先に退出してもらった。筆者が最後まで独りで会場の後始末を黙々と続けていたことは既に記した。

https://ameblo.jp/slapp-nyan/entry-12305986830.html

 

 それらを意に介さず動ぜず(つまり、それらの態度が筆者への制裁なのだ)、同じ部屋の一角に机を集めて、選挙で「当選」した8名の人たちが闊達に話していた。

 

 それが事後的に「第1回運営委」であったとされている。

 

 総会終了直後には、前20期役員が全員揃っており、その時点でこそ、会議期日の各人のスケジュール調整も、引継ぎの全てでなくても一部が、時間的にも場所的にも十二分に可能であった。

 

 「21期」の人々は、もっとも容易に引継を可能となった機会を敢えて避けたのであった。その事実を隠蔽するために、「第2回目」「行う予定であった」と、事実には無いことを取り繕ったのある。

 

 「行う予定であった」とは、まったくの虚偽である。

 

 その「予定」は、20期役員とは共有されていない。

 これは20期運営委員会メーリングリストの8月11日以後の記録で立証できる。

 

 この中間報告文を作文する際に、筆者からの再三の引継ぎ会議要請を黙殺し、結果的に拒み通した事実を、無かったこととするために、慌てて取り繕ったために、はからずして、このもたついた表現となってしまったのであろうか。

 

いずれにしても21期役員ら自身の保身を図った

まっかな嘘

学会機関誌に平然と記したことは否定できない。

 

(つづく)

 

http://nichirinshin-o.sakura.ne.jp/wordpress/wp-content/uploads/2013/09/548f009dee9a749c1bcb107af96b3a9b.pdf