2-4)  運営委員会エートス(集合意識)の表明

 

 β(私立精神科病院連合の御用組合会長)を任用した大学は、現在、公認心理師のカリキュラム教育に特化した学科が創設され、精神保健福祉士とのダブルライセンスの取得可能を謳っている。そのβがやや硬い笑みを浮かべ左指で象徴的なサインを示す「公認心理師」の宣伝ちらし画像が、その大学のHPの一部に埋め込まれている。

 

 以下は、当時20期運営副委員長であった、βが、20期運営委員会のメーリングリストに、平成24(2012)年6月3日に投稿した文面からの抜粋部分である。

 

 私 [β] は学会活動は、会員のためにあり、会員のためにのみ活動するとは理解しておりません。

 むしろ会員は運営委員会の活動に共感し、理解して会員になっておられると思いますので、共感と理解がかなわなければ、自分が運営委員になるか脱退すればよい選択の自由があり、その分運営委員会への縛りも弱いものと考えます。

 

  一般会員は、運営委員会の方針に従うのが当然である。その方針に異議があるなら、退会するか、自らが運営委員になればよいとの主旨で、本学会運営委員会エートスが端的に表れている。

 

 そこで、これまでの執行部の方向性や会務運営や事務管理手続きに改良の必要性があるとの思いを抱き、またあらたな方向性を提案したい!と意欲と希望を抱いた一般会員が運営委員に立候補した、とする。

 

 すると、一般会員からの闖入者はいかなる境遇に陥るのか。筆者の事例を示す。

 

 筆者が運営委員に立候補したのは他領域学会との学際的研究を志していたからであり、引継運営委員会では渉外担当に任じてもらえないかと申し出た。しかし、家族の介護事情もあり固辞したにも関わらず新人役員でありながら事務局長に据えられた。

 

 いざ実務にかかわると、様々な事務管理上の改善点が見つかった。

 運営委員会会務改革提案以前に、日常事務の効率化を進めていきたいと望み、電子メール稟議を用いて、具体的に目的と方法を示して、意見提出期限を切って、期限が終了した事案から次々に実施に踏み切って行った。

 この過程では、先輩役員らからの意見や反論は、出ない。

 

 しかし、次回の対面会議で、「そのような提案など、知らなかった」、「忙しくて、読んでない」等の反応が堂々と返って来る。そこで筆者が仕方なく行った、一からの説明に対し、部分的または例外事例が根拠となる却下要求が噴出し、手塩にかけた事案は次々と無効化・中止・保古とされてしまうのである。

 

 例えば、支出を抑えることで会費を値下げし、会員増加を目指す提案を行った際の広報手段の電子化の具体策の一つ一つに対し、「パソコンを持たない人はどうなる」「視覚障害者(当時の会員には無し)に不親切だ」「紙で貰うのを好む人がいる」等の反対意見が出た後、多数決で却下となった。

 

 これは、様々な立場の人の考え方や嗜好を尊重して意に添うように出来る限り努め、横並びの目線で、共に生き、共に歩むというこの学会が長年の誇りとしてきた理念に基づく決議である。

 これに異論を唱えることは、「共生の原理」を否定すると見做されるのだ。

 

 産業界での新人OJTでは、みすみす無駄な工数を費やさせ疲弊させるのは、技能向上を主目的とした訓練ではなく苦行のイニシエーションかまたはイジメだ。これは、

 

 いま進行中のSLAPP訴訟の原告エートスそのものである。

 

 同様のケースが度重なるので、筆者の側も注意深く説明を繰り返し言論を用いての申し立てしか術がなくなる。

 期限を切らねばならない議題のリマインダーにも無応答が続き、「反対意見が無いので決定します」との取りまとめにも無反応で看過し、後から(例えば総会の場で)、その案は運営委員会の合意ではないと覆す。

 メーリングリスト会議は概ね、このパターンに流れ、議論が成り立つことが望めなかった。

 

 一方、旧来役員が好む「顔が見える」会議では、さらに消耗させられた。

 

 苦心して策定しメール稟議も経ていたはずの議題に入る直前、それらとは無関係の話題を唐突に持ち出される。ようやく本題に入れても、主題を逸脱する話題へと流されたり本筋の検討をはぐらかされたりで時間だけが浪費されていく。

 

 長年に渡り阿吽の呼吸で場の流れを誘導することに長けた数名が、ファシリテートする、集合的かつ半意識的原始反射的妨害行為に対峙することを、覚悟せねばならなかった。

 

 それでも、筆者ら新人役員の諸々の会務への改革案や旧来の方針への異議申し立ては、旧来多選役員の危機感を筆者らの想定以上に高めたのかもしれない。そのため、次期21期役員選出(8.10役員選挙)は、周到な根回しの上で巻き返しの挙に出たのだ。

 

 要は、「分派」予備軍の異分子が運営委員に立候補しても、会務運営で疎外されるか、或は不正選挙で排除される結果に至る。

 

 これが、筆者一人が経験した事例ではないことは、この20期と前19期に於いて、役員の退任や退会が相次いだことも傍証となるだろう。

 

 20期に至るにも、運営委員会内部には、旧来多選委員同士の馴れ合いや学会資産等の私物化の疑義等の問題が生じており、これを憂い批判する役員や有志集団が発言力を揮おうとの試みも度々起こった。

 

 しかしその都度、不可解な事件が生じて阻まれ、同志集団の結束も瓦解し、批判の声は悉く封じられてきた。

 

 改革の意欲を抱いて運営委員会に新たに加わった人々の中には、任期終了と同時に本学会を退会するケースも少なくなかった。

 

 筆者の前任の19期事務局長他2名の役員が離任と共に退会、筆者と同期の役員の会計担当を含む2名は任期中に退会、その他に。任期中の役員の退任は4名。他1名は役員離任後21期執行部への抗議文を提出した2ヶ月後、不慮の死を遂げた。21期選挙で敗れた20期編集委員長實川も循環器系の大病に倒れた。 

 

(つづく)