※ SLAPP訴訟の契機は、2年前の総会だった。しかしそれ以前から、この「(仮称)弱者との共生学会」の執行部内には、旧来役員が少数者が申立てる対立意見を、話し合いの働きかけを無視して封殺する傾向が顕著にあった。旧来役員集団すなわち現在のSLAPP原告らの掲げる「共生」理念が、ダブルスタンダードである(言っていることとやっていることが違う)ことと、対立者を黙殺し、排除するプロセスが如実に顕われている一例が、2014年度「定期総会議案書」の記述から窺える。このテキストには、公認心理師運用の主導的一翼を担おうとの野望を抱くこの学会の隠された素顔が露になるであろう。

 

 

 

 

1)はじめに 「2014年度 定期総会議案書」を読む

 

 2014年の大会の直前に、装丁が元に戻された機関誌52巻1号が会員に頒布された。その巻末に近い72から81頁に、「第50回定期総会議案書」が掲載されている。これは、前もって会員に送付された「議案書」の「誤字脱字等を修正」したものであり、これを総会議場に持参せよとの案内が記されていた。議案書を学会誌に掲載することは、この学会の慣例であり、前もっての議案書の紙媒体での発行送付は経費の浪費とも見えるが、このような様態が学会執行部の運営の特徴と言えるかもしれない。

 

 これに先立つ2014年9月27日、前期(第21期)で事務局長を務めた筆者は、現21期運営委員長ωとの会合を持っていた。この会合に至るまでには、役員改選のあった前年8月10日以後、長期に渡る筆者からの継続的な、未了であった引継会議の要請があった。しかしながら、この会合は、依然として引継ぎにまでは至らぬ、ただωによる意見聴取以上のものではなかった。「21期」の役員の複数から筆者との直接折衝を拒絶する意向が表明されているため、取継ぎとして赴いたというのがωの言い分であった。

 

 その場で、2014年9月10日付けの鑑文とともに郵送で届いていた議案書について、筆者として重大な問題と思われる点を、幾つか指摘した。特に、注意を求めたのは、事実と異なった憶測に満ちた複数の記述と筋の通らない説明の箇所であった。これらを、客観的事実に則した、また、具体的で明確な記述へと改めるように要請した。浅山は各々についてメモを取り、運営委員会に「持ち帰る」と応じた。

 

 しかし、2014年10月16日に届いた、機関誌52巻1号掲載の「修正版」には、巻号の数字1文字などが修正された他は、筆者が指摘した箇所の一つとして改められてはいなかった。そればかりか、誤字脱字等の修正でさえ不十分であり、例えば明らかなミス入力(決算案費目名の誤記等)さえ、未修整のままであった。

 

 毎期20名近い役員が選出されながらも、このような杜撰で放漫な会務運営が為されて来たことが常態化していたことが、事務局長として初めて執行部に入ったときに唖然とさせられたため、筆者らの20期での改革の後の、形状記憶合金の如き復旧ぶりにも、さして驚きは感じられなかった。しかし、このような麻痺の感覚こそが、形状記憶合金集合意識を助長させることとなってきたのである。

 

 この議案書が国立国会図書館に納本され、またも勝者の歴史が捏ね上がったこととなった。活字にし製本し、国立国会図書館に所収せしめた者が勝者であり、敗者の言い分、文字記録から抹消された出来事は、最初から無かったこととなる。ならば、いたしかたなく、その歴史の隙間を埋め、勝者らと対立した当事者の1人として、かれらが公示した記述とは異なる理解を示す任を自らが果たさざるを得ない。

 

 明日からの連載記事は、会員への運営委員会内部の実態を情報統制によって阻まれて来た一般会員に向けて、当該総会の直前まで発信しつづけたメールマガジンの内容を、平常の文体に書き改めたものである。これらのメール配信の目的は、一般会員に資格推進利権を追求する政治団体と既に化し、学術団体の体裁を成していなかった本学会運営執行部の実態を知らしめ、期日が迫る、学会最高議決機関である、定期会員総会の公正な審議に加わって頂くため、「21期」とは異なる立場から資料を提示することにより、議決に関わる判断材料を多角的に提供しようと試みたものである。

 

 筆者は、「20期事務局長として積み重ねた知見に基づき、一般会員の皆さまに、詳しく解説していきます。」「21期運営委を称する人たち作の議案書テキストと併せ、みなさまご自身の、リテラシーを研ぎ澄ましてご照覧ください。」と明示し、当初は数日おきに、総会直前には朝夕2回刊行した。  

 

(つづく)

 

 

雑司が谷 クリスチャンのお墓