この「公認心理師」利権に深く関わる裁判に関心がある方々の最大の疑問は、なぜ、2015年9月4日の総会で、反ー公認心理師派の實川議長(仮名)側が、圧倒的多数を占めながら、實川議長(すなわち精神医療被害者)側に有利な結果とならなかったのか?.........ということ。

 

そして、公認心理師推進派から、實川議長と選挙管理委員のにゃんが永久除名されただけでは飽き足らず、なぜSLAPP訴訟までも仕掛けられることとなったのか?........

ということだと思います。

 

二つ目の疑問については、αさんたち私立精神科病院連合の御用組合の人たちが、なぜそこまで、にゃんらを危険視するのか、こちらが聞きたいです。

 

一つ目の疑問については、かつて、この学会が2度目の分裂をした1991年の横浜総会で起ったことが、ちょっとした参考になるかもしれません。

 

この「(仮称)弱者との共生学会」から、後に臨床心理士国家資格推進派の中枢となる人々が、大挙して出て行ったのが、1971年の第一分裂でした。

 

それ以来ずっと、この学会の方向性を国家資格化反対の立場で貫いてきた指導層は、この1991年の横浜での総会で、厚生省(当時)からの「国家資格協力団体になりなさい」との誘いを、当然のごとく蹴っ飛ばす決議をするつもりでした。

 

ところが、当日にわかに入会した会員の反対票で、予測されていた多数決の勝敗がくつがえり、国の資格化協力団体となることが僅差で議決されました。

 

つまり、それまでの「路線」がこの多数決で、180度転換したのでした。

 

これを受けて、指導者層の大学関係者は学会を脱退し、別の学会、…その名称にもはや「心理」の語を用いない…組織を創設しました。

 

第1分裂の時点ですでに、河合隼雄さんをはじめ多くの大学等学術研究機関に所属する研究者が抜けていました。

さらにその20年後のこの横浜大会の第2分裂でも、実践と研究との結びつきを重要視してきた篠原睦治さん小沢牧子さんら大学の研究者が抜けました。

 

このようにして、「(仮称)弱者との共生学会」は、学術研究団体としての機能を大幅に失い、「学会」とは名ばかりの団体となったのです。

 

その時以降、この学会は、漫然とした現場での実践報告や学術研究として深まりや広がりの少ない報告を羅列して、さも学術研究団体であるかのようにカモフラージュしてきました。

 

その実態は、医療領域での国家資格化を目指す活発な政治活動に勤しむ運動体として、現在に至っているのです。

 

つまり、この学会が学術研究をおろそかにした、政治運動体としてのかたちを確立したのが、1991年の横浜大会であったとも言えるでしょう。

 

それまでの20年の間この学会を引っ張って来たひとたちが用意した、国の意向に逆らった決議を覆すために、水面下で画策したのが、δさん(仮名)であったと、当時の指導層の中心に居た人が暴露しています。

 

このδさんこそが、2015年9月4日の総会で、實川さん(仮名)と対立していた当時の執行部が予め選んでいた議長です。そこで、δさんと充川さんとの何れが、議長として、この学会の総会での大きな決定権を動かすのかが問われ、多数決が議場に問われました。

 

ここでひと言、ご説明しておきます。

普通考えられるような、学術団体の総会とは違って、この学会の総会では、議長の権限が著しく強いのです。それは、機関誌に記録されてきた、学会の歴史的に重要な曲がり角での総会逐語録を読めば一目瞭然です。

 

一昨年の総会議長選任決議では、圧倒的多数が實川さんを支持し、当時の執行部が推したδさんが、破れました。

 

つまり、そこで、執行部への不信任が明かに示されたのでした。

 

しかし、そこから、執行部の人々からの猛烈な議事妨害が始まりました。

 

おそらく、ですが、かれらδさん、αさん、前期会長さん、SLAPP原告会長さんたちは、20年前に自分たちが、当時の指導部に対し行ったことが、いま、逆に自分たちに向けて仕掛けられていると、受けとめたのでしょう。

20年を経てあの時とは逆の立場に追いつめられたと思わざるを得ず、あの時自分たちがもたらした結果を、勝者として知るかれらにとって、いま生じている事態は、ただならぬ脅威と感じられたのではないでしょうか。

 

この現象を、心理学の、というより対象関係論(精神分析の一派)の言葉で言うなら、投影性同一視

 

精神分析の理論は、個人心理学というより、社会心理学、集団心理学として、いろいろな社会のできごとを解明するのに役立つというので広まったところもあります。

 

この事例の場合、恩義或る指導者たちを裏切って追い出したという、こころに一抹の罪悪感のあるδさんやαさんらにとって、20年を経て、かつて自分たちが葬った敵対者からの復讐を受けている、と、半ば無意識に感じ取っていた.......と仮定すれば、このような異様に激烈な過剰反応が理解できるかもしれませんね。

 

しかし、そのような歴史的・深層心理的構造が、裁判所には伝わらないように、9月4日の総会逐語録を、上手に偏らせて編集することによって、そこに生じた事実から通常導かれるはずの判断とは正反対の判決へと、αさん、そして代理人の「人権派国政代議士志望」ベテラン弁護士さんが、巧みに誘導し(ミスリードさせ)たのです。

 

そのときの実際の議事妨害のありさまがどのようなものであったか、というと.......

 

反議長派の長年の仲間同士があうんの呼吸で、モグラたたきのモグラよろしく、實川さんの議事進行を、四方八方からの不規則発言(ヤジ)や引き延ばしとしか思えない発言や動議めいた介入等々を連発し続けたのでした。

 

総会に参加した会員の中から、この尋常でない様子を見て呆れ果てて、付いていけないないのでもう会員を辞めるとの声が出たぐらいでした。

 

そしてとうとう、充川議長側が目的とした、精神医療被害者の声を代表する数名の役員候補が新しい執行部に加わるための次期役員選挙が、投票直前で中断されました。

 

「借りている会場との契約上の時間切れ」が、SLAPP原告側が述べた表向きの理由。

 

厳密には、投票直前に、前期役員らが、棄権すると次々に叫び始め、それを見て動揺した選挙管理委員長(と自称する)佐藤和喜雄さん(そう、ヒアリング・ヴォイシズの紹介者です!)が、選挙の中止を宣言してしまったのです。

 

ほんとうは、投票を完了する時間はありました。それにも関わらず、議決権者は、議事妨害者たちによって、強制的に退去させられました。

 

こうして、次期役員選挙は当日中に完了することができずに終わったのでした。

 

一審判決は、この事態について、SLAPP原告側の「流会」であるとの申立てを予断を以て認め、實川議長側の「議長が閉会宣言をしなかったので、総会は継続中である」との言い分をまるっと却下しました。

 

そして、SLAPP原告側が、開催した同年11月23日の臨時総会での議決と次期役員選挙結果を正当と認め、實川議長側に、SLAPP原告がその積算根拠を示すことなく請求した、無闇に高額な賠償金の支払いを命じたのでした。

 

すなわち、裁判所が、SLAPPを幇助したのです。

 

司法は、お上にすり寄る権益者(強者)を勝たせる。

 

これが、日本社会からSLAPP訴訟が無くならない、最大の理由です。

 

この一審のいびつな結論は、いったいどんな判決文ロジックに基づいているのでしょうか?そのことを巡って、これから数回に渡って解き明していきたいと思います。

 

(つづく)