ヒアリング・ヴォイシズ活動実践報告を、にゃんが初めて聴いたのは、2003年の京都文教大学での年次大会分科会でした。

 

会場は、<大きな楕円のラウンドテーブルを囲む>....というイメージの記憶(実際の席の配置は違うかも?)が残っています。

 

そこには、「声」を聴く精神科医療にかかっている患者さん、その家族の方、医師、精神保健福祉士、精神保健相談員、ディケア指導員(この後ろ2つの職名、精神医療関連機関で、「心理」が分担することが多いものです。)など、

いろいろな立ち場のひとびとが集っておられました。

 

その同時間帯には、当時この学会の最大の懸案であった資格問題に関する全心共(仮称)のひとたちが中心となる分科会の方に人が集まっていたので、こちらの会場はどちからといえば、ちょっとしんみりした雰囲気だった印象が残っています。

 

そこで、にゃんが感じたのは、この分科会の場そのものが、とてもセラピューティックつまり、癒しと治りが生じやすい場となっていることでした。

 

初めて参加した学会でしたが、当時の記録が載っている機関誌を見直しますと、最後のほうで、それより7年前に学位論文に書いた北村サヨについてにゃんが発言しているのを見つけて、そのことをすっかり忘れていたので、驚きました。

 

この大会の2日目には、「心理臨床の専門性」について討議され、そこで初めてにゃんは、河合隼雄さんを堂々と批判する人たちに出会いました。

 

そしてまた、医療領域の心理師国家資格を推進する精神保健福祉領域の心理職ギルド(私立精神科病院連合の御用組合)には、当時で既に500名の会員が集まっていて、その7割が臨床心理士であるということも、ギルドの会長自らの説明で知りました。

 

そのギルドには会員名簿が、無いのです。当時は未だ個人情報云々がうるさく言われてはおらず、たいていの学会、日本臨床心理士会からも分厚い会員名簿が届くことが普通でした。

 

それにも関わらず、医療領域の臨床心理士は、日本臨床心理士会(つまり河合隼雄理事長)に楯突くギルドの構成員であることがバレるのを恐れ、名簿を発行しないで欲しいと望んでいるという説明に、「まるで秘密結社やん」と呆れてしまいました。

 

これが、にゃんのこの学会との、リアルなファーストコンタクト(第一回接近遭遇)のてんまつです。

 

ただ、正確には、これを遡ることさらに10年余り昔に、にゃんは、この学会の本質的な葛藤が鋭く問われた一冊の著書を通して、この学会に出会っていました。

その本の題名は、『宗教か心理療法かー人はなぜ救いを求めるかー』。

にゃんは、その著者に会いに行きました。

それは、また別の機会に…。

 

この学会の2つの顔…それは同時進行で開催された2つの分科会が、まさにヤヌスの二面性を象徴していたということ、そのことを、その後の10年を経て、しみじみと思い知る事となったのです。

 

(つづく)