医療分野で「心理」の「専門家」として働こうとすれば、医師の指示を仰ぐ医療行為(の補助)を担う国家資格「公認心理師」を取得することが必須となりました。

 

かつては、精神医療の現場では、心理職だけが国家資格を持っていなかったので、使用者側にも勤務する側にもユーザー(患者さんたち)側にも、いろいろと不都合が生じる、だから、国家資格が必要なんだ、という主張が、さんざんなされてきました。

 

しかし公認心理師という国家資格がいったん出来ると、医療現場の中でこれまで一部の臨床心理士がなんとか護り続けようとしてきた<臨床のたましい>が、置き去りにされてしまうのではないか??との危機感↓を以前ににゃんはつぶやきました.....。

http://ameblo.jp/slapp-nyan/entry-12288847889.html

 

さて、公認心理師の法制化によって、医療現場には、国家資格を持たない職種はもう全てなくなったのでしょうか?

 

.........いえ、3.11の後ぐらいから注目されてきたのが、「臨床宗教師」という許状を持った職種でした。

 

医療はかつて宗教(的環境)の中で営まれて来た、宗教的行為でした。

 

海外の医療機関には、「チャプレン」という専門職があります。キリスト教だけでなくイスラム教、仏教その他の「宗教家」が、<臨床>に携わって来たのです。

 

その「チャプレン」の日本版を、ホスピスや緩和医療の領域を中心に、医療機関が取り入れていこうとする動きがあります。

 

にゃんは、これが「臨床心理士」の二の舞にならないだろうかと危惧しています。

 

現在、日本の医療現場に導入されつつある「臨床宗教師」の立場や地位は、教育現場のスクールカウンセラーのそれに似ているように思われます。

 

異なる(.....ほんとうは起源や根っこは同じだったはずなのですが.....)専門性の場に、異種・異業種の者が入っていく、というスタイルです。

 

その構造(仕組み)には、民俗学で云う「マレビト」のイメージが、立ち現れてくるように思います。

 

「マレビト」は、ある場所....ムラなどのひとびとの定住地...に、(たいていは)決まった時に、異界から訪れて、また去っていきます。

 

その来訪は、いろいろな大きな影響をムラに及ぼします。

 

マレビトはムラを(予期せぬ来訪により)混乱させたり、(定期的な来訪により)「福」をもたらし活性化させたりします。

 

マレビトはそのムラに同化されず、一定期間滞在して去る、漂泊のひとびとです。

(ムーミン谷を訪れる、旅人スナフキンもそのひとりでしょう。)

 

ですが万一、マレビトがもちこんだ混乱が、そのムラを破壊するほどの脅威をもたらしそうになったら、マレビトはムラから追い出(放逐・排除)され、時には供犠(人柱)にされてしまう(命を奪われる)ことさえあります。

 

.........みなさん、お分かりでしょうか!これと同じパターンが、にゃんたちがこうむっているSLAPP訴訟に、よく顕われています.......

 

つまり、臨床宗教師もスクールカウンセラーも、或る既存の秩序が支配する場に、訪れては去るという、往還運動によって、その既存の場を維持し発展させることに役立っている、と言えるかもしれません。

 

来訪者が、定住者として、場(ムラ)に同化しようとするならば、そこに課せられるハードルいやむしろ「踏み絵」は、何でしょう。

 

「心理」の世界の例では、医療現場でも、いずれは教育現場でも、「公認心理師」取得が必要とされる、それが、臨床心理士にとっての「踏み絵」なのです。

 

肥大化した医療が、かつての自らの出自である「宗教」を呑み込もうとするならば、「臨床宗教師」の国家資格化が主張され始めるのも時間の問題かもしれません。