いまから10年前の2007年、臨床心理士の国家資格化が流れた事件がありました。「2資格1法案の国会提出断念」という、歴史的事実としてよく知られています。

 

その理由としてもっぱら、「お医者さんの団体から横やりが入って...」と説明されているのですが、じつは、もう少しややこしい事情があったのです。

 

それまで「医療心理師」国家資格化を後押ししてきたお金持ち団体の筆頭が、この国の私立の精神科病院が大集合した、日本精神科病院協会でした。

 

医療も含む汎用資格として既に名前が知られていた民間資格「臨床心理士」の国家資格化を推進する派と、「医療心理師」推進派とは、不仲でした。

 

でも、大きな目的のためには、そうも言ってもいられないと、お互いに話し合って、「臨床心理士」の国家資格推進派と、医療領域限定の「医療心理師」国家資格推進派、その双方の議員連盟が一緒に、2つの国家資格を1つの法案として議員立法を図るという道が開かれました。

 

しかし、この法案の提出には、大きな問題が生じました。

 

法案修正を、「臨床心理士」側が応じなければ、提出に反対するという宣告が、日本精神科病院協会から「臨床心理士」側に突きつけられたのです。

 

日本精神科病院協会が求めたのは、ざっと以下の要求でした。

 

汎用の民間資格「臨床心理士」が、国家資格「臨床心理士」にスライドしてはダメ。

国家資格の名称に「臨床」の名称を用いてはダメ。さらに、

医療以外の領域での資格を現す、「社会心理士」に名称を改めなさい。

 

つまり、精神科のお医者さんたちは、これら2つの心理資格に、明瞭な仕事内容と支援する対象の区別を行うために、医業と間違われる「臨床」の語を、「臨床心理士」の名称から外す(変更する)よう強く求めたのです。

また、医療心理師は「名称独占」の「医療心理士」と称し、「社会心理士」と同等の資格として扱え、との要求も含まれていました。

 

精神科病院のお医者さんたちの意図がどこにあるのか、よくあらわれていますよね。....敢えて言いませんが。

 

勝手に「社会心理士」の名称を作って押し付けてくるのも、なんだかなあとは思えるものの、すくなくとも、これが「臨床心理士」が国家資格となる大きなチャンスではあったわけです。

 

しかし、それまでずっと医師と対等な立場でものが言える国家資格を目指してきた、臨床心理士側としては、この要求は根幹に関わる方針転換を迫られることでした。

 

結果はご存知のとおり。

名称独占資格「医療心理士」案もろともに、2資格1法案は提出されませんでした。

 

この事件以後さらに、「医療心理師」推進派の落胆と怒りと怨念が「臨床心理士」に対し、くすぶり続けたのは、まあ当たり前といえば当たり前です。

 

このすぐ後、河合隼雄さんが亡くなり、以後「臨床心理士」側の求心力はどんどん衰えていきます。一方の「医療心理師」推進派は全国保健・医療・福祉心理職能協会を核として、日本心理学会を味方に付け、粛々とロビー活動を展開していったのです。

 

そして苦節8年、2015年9月、「医療心理師」推進派が勝利をおさめます。

 

「臨床心理士」は「公認心理師」という「医療心理師」が名前のみを変えた資格に、「臨床(のたましい)」を抜き取られ、自ら呑み込まれていったのです。