記録として。
祖母の13回忌だった。
生粋のおばあちゃん子だったので、どこへ行くにもどの場面でも、祖母がみてくれていたように思う
末っ子だったのでワガママも爆発し今に至っている
祖母はとても人が好きで、みんなも祖母が好きで、いつも周りに集まっていたし、いろんな催しをしていた。
「ケチケチしたらあかんよ」
振る舞いも並みではなかった。
祖母はとても活動的で、愛知万博の時はフリーパスを買い1人で何度も冒険していた。
並び待ちの時に前後の人とよく話していたらしい。
祖母は信心深く、いつも仏間で拝んでいた。
自分は、仏間のヒヤッとした感じが苦手で、大人になってもそこにいるのは好きではなかった。
一度夜明け前にトイレのため仏間の前を通った時、仏壇の前に白い着物がみえて腰が砕け散った。
祖母は早起きだった。
祖母は絵が好きで、技術を超越したオンリーワンだった。それがなんとも優しい画風で、部屋に飾ると部屋が温かくなる。
愛知県知事賞なるものをもらっていたし、個展もやっていた。
同じく僕も絵が好きだったので熱心に美術に取り組んだ。通知表は2だった。
大きな野外イベントで踊った時、遠いところ人混みの中見に来てくれた
「黄色いTシャツで目立ってたよ。」
それは僕ではなかったけれど笑
遠路足を運んでくれて嬉しかった
仕事に出かける時、祖母はいつも見送りに来て、車の窓越しに手をタッチして
「いってらっしゃい。」
と送り出してくれた。
晩御飯はだいたい2人で食べていた。
祖母の濃い味付けが好きだった。
なぜあの頃、洗い物くらい進んでやらなかったのだろう。
与えられる日々をゆめゆめ疑うことなく。
ある時だけ、祖母が出遅れて、それでも自分も時間がなかったので先に家を出てしまった。
バックミラーごしに祖母が見えたけど、戻ることができなかった。
祖母が次第に小さくなっていく。
ある時を境に祖母は体を悪くし、入院した。
仕事し、病院にいき、夜中練習する
それだけの日々が続く。
診断名は知っていた。
一度だけ実家に戻ることになり、祖母をおんぶすることがあった。
幼い頃してもらったことを。
「ごめんね。」
と祖母は言っていたけれど、ありがとうしか浮かばない。
やがて最後の時を迎えた。
人間苦しい時に本性がでるというけれど、祖母は一度も何かに文句を言わなかったし、愚痴らなかったし、最後まで周りを気遣っていた。
参列は後を絶たなかった。
僕は悲しくも妙に現実を受け入れれないところがあり、不思議な感覚におちいっていた。
1人1人お辞儀をして、言葉をかけ、下がる。
何が起きてるのだろう。
棺桶をしめる最後の瞬間に、屈強な親父の泣く姿を生まれて初めてみて、涙が止まらなくなった。
あぁ、おばあちゃんはもういない。
送りの言葉で親父は長くしたためたはずの紙を胸にしまい、これだけを皆に告げた。
「母は、たくさんの友人達に囲まれ、幸せな人生でした。」
冬の名残のまだ冷めやらぬ
朝焼けがにじむ中で、新鮮な空気を吸い込む
このまま風を切るようなスピードで
時は流れ、たくさんのものが通り過ぎていくのだろう。
そして自分もいつかは死ぬ。
だからこそ。
久々に会う親類は、祖母の話でもりあがり、また声や姿もどこか似てきているような、
なんだかなつかしく思えた。
確かに血は紡がれている。
今では
仏間に入ることに臆したりしない。
写真にはおばあちゃんが。
いってらっしゃいの笑顔で。
思い出はいつも優しい。