本日、市民団体の会合に参加してきた。やはりというべきか、斎藤の与太者痴事の話題も出ました。あやつは、もう誰からも見放されている。この期に及んで維新の県議の増山だかが擁護しているようだが、恐れ知らずというか、ものの道理が分からなさすぎであり、確実に次の選挙はまずくなるだろう。その会合には私が前回の知事選で投票した候補の方も来られていて、「有権者がよく吟味して選ばなければ、何度選挙をしても酷い首長や議員が選ばれ続けます。投票率も低すぎます。」ということを仰っていた。ただ、選択肢が無さすぎるのも問題であって、投票に行きたいと思わせる候補者が少ないのも問題な気がする。百条委員会で追及してるのが奥谷じゃな。議員なんてのは、全員とは言わないまでもセコい連中の集まりだもんな。けど、その候補の方は、物腰も柔らかく、お人柄も良さそうで、好印象だった。前回の選挙は入れておきましたと言っておいて、名刺も頂きました。その方が仮に県知事選があったら出馬されるのかはまだ分かりませんが、されるならその方に投票するつもりです。その方は、私は選挙が趣味で出ているわけではないとのことで、志はあるように思い、斎藤(サイテー)より余程まともというか、比較するのも烏滸がましく、サイテーが論外すぎだと思います。その会合の前にも知り合いのインドネシアの人にも会いましたが、その方もサイテーを知っているらしく、あんな人だとは思わなかった、英語も喋るしまともだと思っていました、もう早く辞任して欲しいですとのことで、外国の人にも異常だと思われています。無論、インドネシアにも政治腐敗はありますが、サイテーのような上からの一方的なパワハラなど、向こうの人の気質からしてあまりないのでは?と思います。こういう立場が低い者へのパワハラ含む強烈な攻撃など、日本特有とは言わないまでも日本特殊的な事情がある気がします。お上頼みな所があり、センセー、という言葉を未だに使ってるこの国に固有な面は確実にあると思われる。サイテーは、自民党などに自分が辞める代わりに県の団体の役職へ就けてくれるよう根回ししているのかもですが、やはりどこまでもサイテーな奴ですね。こんな奴が知事になれた県も県ですが、ひいてはこの日本という国自体がそういう社会かも知れないと、今回の騒動を見ていて思い、決してサイテーだけがアホだと笑える話ではありません。そんな国は、無神論者や共産主義者や同性愛者だったら捕まるという、宗教が支配するインドネシア🇮🇩より人権感覚が低い可能性があり、表向き自由社会だけど、修道院のような社会かも知れず、笑い事ではありません。