好きなことをやるのに

好きなようにできないんじゃ意味はない


正直好きなことって

誰からも賞賛される訳じゃないから

自分で自分を信頼して

どんなに自分を責める声が聴こえてきても

大丈夫、大丈夫、できる、できる

そう言いながら進んで行くしかない


例えば他人と自分を比較する

これはあるあるで

こんなことはもうとっくにどうでも良い

点数をつけられる

これも他人からつけられることはよくあるから

エゴキンの餌になる

だからあっと言う間に自分責めを始める


他人に点数をつけられるから

嫌いになることもあるし

好きが嫌いになる瞬間もある

だけど

側で見たら確かに他人から点数つけられてるんだけど

本当の点数、評価を下してるのは自分

その点数を受け入れて

自分に✖️をつけるのかどうかを

選ぶのも自分


だから、

他人から点数をつけられて

がっかりする

って言うより自分へのダメ出しが

キツ過ぎると

好きが嫌い、辛いになっていく


今日はいろんな場面で

考えさせられることがあった

だいたいエネルギーで感じてしまうから

いやなマウントを感じたり

何故そんなことで意固地になるのかとか

エゴキンに乗っ取られてまくっている人がたくさんいる


そして

信頼が存在しない場所…


自分は意図して

愛があって信頼のある場所に身を置く

そのなかには

自己否定の強い人もいる

だけど

そこから何とか頑張って

何かを掴もうともがく場にいる

だから、エネルギーは同じなのだ

正直なんだ。

自分を生きたいと思っている人が集まるんだ。


そして、
今日は…
自分がマイノリティであることを感じる。



自分が練習不足でできないことへの

残念さや悔しさはあるけど

それは出来ていないのだから

点数がついて当たり前で

線を引かれて当たり前で

そんな経験はクソほどしているから

無感情なのだ。

自分責めは多少あれど

練習できていないのが問題なだけで

やれば良い、やれる時間がないのなら

もうそれまで。

限られた時間で、限られた場所でやるだけ

それしかないの。

だから下手クソと言うレッテルとかは

どうでもいいんだが


この場に信頼とか愛とかが

ないことが

あー当たり前なんだな…って感じたら

そっか

外の世界ってそうだったよなって

自分が深海魚だったことを思い出した。

人の言葉には気持ちが乗るし

場にはエネルギーが流れている

とにかく重いエネルギーだった

その場を一瞬で変えるだけのパワーを

リーダーは持たないと難しいし

意図しなきゃそんな場は作られない

良くも悪くも

人の集合意識は中心人物に左右される

自分もやっぱり

たくさんの人のなかにいると

エネルギーを合わせてしまいやすい

だけど

今日は納得が行かないこともあり

強めなエネルギーを出しそうになったけど

それすらも

人に左右されてしまったと言う証


人は人

自分は自分

そして上も下もないから

この納得行かない件は

きちんと伝えた


と、いうか何故そうなのかと尋ねた。

答えはない。


自分は感じたことを誠意を持って

伝えたつもりだったけど

捉え方によってはクレームのように

なるんだと思う


自分はコミュニケーションが得意ではないから

言葉も足りず伝わらないのかもしれない

特に

今日のこの話題の方とは

やりとりしていて一方通行になりやすい。

伝え方なのか

受け取り方なのか。

自分は誰とでも対等だと言う考えがある

上も下もない

だから言うべきこと

あたしはこうしたいです

は伝えるようになった。

だけど

あんまりそれが伝わらない。

無視してるな、って言うエネルギー

まだ、文句の一つでも返してくれれば

いいものの

何もないのは

やっぱ、ただのクレーマー程度に感じだろうな。



そこで感じたマイノリティ感。

居心地悪いこと、この上なくなった。


側から見た

出来ない人の

ただのがっかりついでの

クレームだと

そう捉えるのが外の世界では当たり前だった


だから

今この瞬間、気分はすこぶる悪い。


誰も悪くないのに

また、自分が創り出してしまった現実


好きなことをやるのに

信頼のない場所で何かをやることは

設定としてはとにかくキツイ

これも

乗り越えるべき

闇か光か。

深海魚、アングラにはなかなか

キツイ1日でした。

エネルギー使い果たした。