世の中には

エゴキンマンを飼ってない人がいる。

エゴキンマンが謎?って方のために説明すると

エゴ=自我

というのは頭にいる。

心ではない。

エゴは誰もが持っていて

なければそもそも自分ってもんが認識できない。

だから、自分の個性でありなければならないのが自我である。

自我が過去の経験により形成され

自我が心をハンドリングする。

つまり

自我が暴れると心はざわつく。

暴れる自我=エゴキンマン

エゴがエゴキンマン化すると

自己否定がデフォルト。
自己評価はすこぶる低い。

ワシの醜形恐怖もエゴキンマンの技によるものだ、と理解している。

エゴキンマンを沈めるには
深呼吸したり、自分を満たしたり
過去が過去の事象にすぎないという
高い視点から俯瞰することだったり
対策はいくらでもあるが…

ワシの醜形恐怖は鏡が天敵で
すぐに発動するのだが
慣らすため 受け入れるため
自撮りをしたり、敢えて顔出しの投稿をすることで、自分を愛でるようにしてきた。
ダンスにチャレンジ出来なかったのは
これが解っていたから。

大学生の頃 
女子トイレに入るのは恐怖だった。
みんな化粧直しをするのに鏡を占拠している。それを掻き分け手を洗う。
みんなが何でこんなに自分の顔を凝視できるのか、これが普通なんだ、早く逃げよう!

だけど、こんな面でも好む人はいる。
いや、大概がこの面から何かを勘違いして好きだとか、なる。

謎しかない。
うん?キモいのに何故?
それとも不細工だから軽くいけそうだとか思われんのか?
と、ガチで彼氏に聞いたりしてきたが
普通に怒られた。

不細工とか言ってたら敵作るから
人前では言わない方がいい。

ふーん。そうなんだ。

他人から見たら、ワシの面は不細工ではないらしいと知った。

だからと言って醜形恐怖がなくなるわけもなく、自己評価が上がることはなかった。

今でこそ、自己評価は上がり
自己否定もなくなったし
自撮りまでできるように成長?した。

だけど、だけどですよ😅
鏡はまだ怖い。
ダンスやってるとき、自分を観ることから逃げてしまう。
最近は、ちゃんと見るようにかなり意識している。

で、考えて見て下さい。
醜い人が変な踊りを踊っているワケです。
見るも辛い。
しかも、間違えたりなんかしたら
もう気分は最悪で、穴掘って隠れたくなるのだ。


そこで、自分ばかりにフォーカスするのを敢えて止めてみる。

あの女子トイレの恐怖を乗り越え
周りは何がデフォルトなのか。

普通に鏡見てるし
間違えてることもあんまり気にしていない。
ワシはそれを隠そうとするのに
みんなしてない。

ワシは鏡の前では
完璧を求めている。
程遠いから苦しくなる。

そのまんま放っておいたら
好きなもの嫌いになるコースや。

こういうときは
敢えてエゴキンマンいない人を
見本にしようと思えた。
昔は何で平気なの❓って考えた。
でも、考えたとてその人の気持ちは
解らない。
ならば、エゴキンマンを増幅させるような思考を働かせるより、そういう人の真似をすれば良い。思考より行動を真似る方が遥かに簡単だ。

今、たくさんの方々と一緒にダンスをする機会に恵まれている。

多分、ワシのような恐怖を抱えてる人はいないだろう。
だから、真似しやすいのだ。
特にちびっこちゃん達は、全くエゴキンマンなんかいない。

まさに、グルだ。

人間なんか生きてきた年数なんか
ただのナンバーで
よっぽどワシより精神性が高い。

風くんだって精神年齢は109歳www

ワシの醜形恐怖なんて
鼻くそよりちっさいコンプレックスだ。

人からビジュアルで褒められても
いつでも頭の中でエゴキンマンが
言ってくるのだ。

調子に乗んなよ
お前なんかキモい顔してんだから、騙されんなよ
何か下心があるから褒めるんだぞ
お世辞間に受けるとかダサいんですけど
などなど…

あー田中みなみちゃんみたく、
自信満々になりてーw

ま、今は無理ゲーだし
少しはマシになったし
たくさんのグルに恵まれてるし

いつか帰るまでには
きっとこの面愛せると、望む。

ちゃんみなの美人を聞くと
勇気が出る

いつかワシはワシみたいな不細工を
磨いたらダイヤ美しいと
助けたいと思うから。

まずは自分から。

多分、磨いたらダイヤ美しい。

you can't be beaty…

嫌だけど、腹の底が熱くなる。