金曜日の夜はだいたい

このぐらいに帰宅する。

今日はいつも仲良くしてもらってる

生徒さんとお話し。


ワシの面接を謎にしてくれた

古くからの生徒さんだ。


だから

いろいろお世話にもなっていて

ぶっちゃけ話しも沢山してきた。

ワシのことをいろいろと心配してくれ

いっぱい褒めて下さる。

講師としたらとても嬉しく

ありがたい存在です。


かおりんは幸せにならなきゃいけない

そう言われた。

ワシを良く知る人は

この方と同じことをよく言う。

幸せですよ。

そう答えた。


ワシも今はそんなことあんまり

思わなくなったけど

幸せになっちゃいけない側の人間と

思って長く生きてきた。

その頃からよく言われる言葉だ。


これってね

幸せになってはいけないって 

自分が決めてたんだよ。

そしたら普通はさ

内側が外に現れるから

そんな言葉言って貰えるはずがないんだ。

なのに

ワシはずっと拒否してきたのに

みんな優しいんだよ。

愛されない

なんて

やっぱり思い込みと

経験から弾き出した

間違った解答だった。

狂ったパソコンだ。

今は幸せになっちゃいけない

人間とは思ってもないし

拒否もしてないし

経験がどんなであろうが

そんな人間は一人としていないと

気づいたけど


久しぶりに

この優しい言葉に

ワシは

なんて馬鹿だったんだろうって 

思ったんだ。

ずっと

誰かに愛されていた。

孤独でもなかった。

今朝の

私に会えて良かった

に繋がった。


人は不可抗力で

何かの巡り合わせで

望みもしない事に出会う

誰かのためにと思って

投げ打つ身が粉々になる

だけど

そんな事は誰も気付きはしない

自己満足のために傷を作り

そこにひたすら

塩を塗りたくる

その痛みが深ければ

深いほど

得体の知れない

何かに赦された気分になって

本当に大事な自分からは

赦してもらえない

その何かや誰かに

許されたいんじゃなく

自分に1番許して欲しかったんだ

そうやって

生きてきた姿を

優しく見守る人か

ワシに

幸せにならなきゃだめだよ、

と言ってくれていたのだ


今日はそれを思い出すのが

必要だったのかもしれない。

事実

ひとりワシは

魔がさす瞬間があったのだ。

理由はわからないし

解らないままで良い

だけど

この魔がさすのは

怖いことだから。

何かの直感が働いただけかもしれないが

自分の危うさと

脆弱さを感じた。

これから何かが起こるのかもしれない
だけど

それを知るよしもないのだから

また

人とのご縁で救われた。

そう思う。

気付かせてくれて

ありがとう。

ワシは魔がさしても

もう屈することはない。

もし屈する時が来たとしたら

それは

世界が終わるとき。

ちゃんとさよならできるとき。