わたしが仕事とか主婦業に憧れるのはゴールが見えるからなのかもしれない

この仕事はここで終わりであるっていう定義が自分の中でしっかりあるもの

書類作成とか棚卸しとか料理とか洗濯とか


絵にはないもの
自分の中で構想が固まっていたとしても
その通りに手が動く人はあんまりいないと思う
少なくとも学生にはいない

先生も言う
いろいろ試して自分にあった描き方描きたいものを見つけなさい

試す範囲が広すぎる
絵の技法を全て試すのには一生かかっても無料だし
その中から自分流を見つけなさいって結構まる投げな教育じゃないか

それなら有名な技法を一つ一つできるだけ教えてくれた方がいい


でも課題は前期後期出続けてるわけで
展覧会の日はやってくるわけで


高校の時、一部分ずつ完成させながら進めていくAさんを見て
画面大きくなったら終わりが見えないね
とか思ってたけど
私論で良いと思ってた、全体を見ながらイメージを完成に近づけて行くっていう方法も、つまりは終わりが見えてなかったっていうことだと思う

実際、完成って宣言するのは自分か提出期限だったし
後者のほうが圧倒的に多い


100号に向かうのが当たり前になった今、Aさんの方法は画面を完成させて達成感を得ることという一点でずば抜けている方法だと思った

つまり
Aさん論は
→→→地道→→→→ゴール
私論は
————————→ゴールじゃないけどまあ期限だしゴールでいっか

私論は達成感のかけらもないゴールである


先生達がAさん論を否定するのは、先生達が描き始めにゴールを見据える力を習得しているから、
きっと私達みたいな学生の時には持ってなかったと思う


その矛盾のせいで
Oさんが立体に興味を持ったり、Kさんのモチーフが写真丸写しになったりしてるんじゃないか

それを先生達が嘆くのは間違ってるんじゃないか


と、いうことをこの間の合評で思ったなど
奴らの言うことは理解できん

わたしのも理解できないか
なんか書いてたらよく分からなくなった


私達って言ったけどみんなにはゴール見えてるかもしれないよね
学園祭という期限が迫って来る
それを見せかけのゴールにしているわたしには


この絵の完成が全く見えない