番外編 VELVET PΛW 〜プログレッシブ・ロックとJ-POPの狭間で(第四話) | skyp2tの音楽が好き!

skyp2tの音楽が好き!

80年〜00年代の邦楽・洋楽が大好き!
いいなと思ってる曲を勝手に紹介してま〜す

〈ベルベット・パウの歴史 part.6〉


VELVET PΛW メンバー紹介②

ドラム/ボーカル 桐生千弘




VELVET PΛWの創設者であり、一部を除く殆どの楽曲の作詞/作曲を行ったVELVET PΛWブレイン



VELVET  PΛWの音楽性・軸となっているプログレッシブ・ロック」のリズムを叩き出すドラマーでもある。



こちらはバイトで油絵のモデルをしていたときの1枚だそう。




CDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCD




それでは久しぶりにVELVET PΛWの歴史に。

1988年にタイム〜スリップ!UFO






1988年、CBS主催のレディースロックコンテストに出場。

地区予選を通過し、本選出場が決まったときの1枚。



この時のギタリスト(左上)って、多分

"マダムギター"長見順さんですよね?




酔っ払ったトークより歌の方が滑舌がしっかりしてるのはやっぱスゴイ。


音楽が楽しい、ってこういう感じかも。

ベースはかわいしのぶ



ブルースの申し子ですね。





3曲目でちょっと泣きそうになりました。



CDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCD



さて、

このCBS主催のレディースロックコンテストは、公式では1987年となっており、「女性のシンガーソングライター、ボーカリスト」が対象となったコンテストだそうで。



年を跨いで本選になった模様。




このコンテストで輩出されたミュージシャンとして、



五島良子



が公式では挙がっていますけど、五島良子で有名なのは

電気グルーヴのゲストボーカルで参加した1995年4月21日に発売されたシングル、「」かな?






スピッツ

2000年7月26日発売 9thアルバム

ハヤブサ

収録曲「ハートが帰らない」にもコーラスで五島良子が参加してますね。



スピッツも後々うっすらとVELVET PΛWに関連していきます。




CDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCD




VELVET PΛW

この本選でまわりがPOPSやR&Bばっかりだったんで、

どうせなら浮いてやろう、と曲を変更して、

どプログレをやったところ、スポンサー賞を貰ったらしいです。




CDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCD



これ、同じ年の1987年に行われたCBS・ソニーオーディションの本選に出場したXと同じマインドだったりします。


そのオーディション動画。


オルガズム



オーディションの時間制限にも関わらず、ボーカル

TOSHIが歌い始めるまで約4分45秒。



VELVET PΛWと同じく、

POPSやR&Bばかりのコンテスト応募者とその関係者ばっかりのなのに、

そんなこと関係なく、めんくらって反応しない客を

いつものライブ通りに煽り、コール&レスポンスを要求するTOSHI




再度言いますけど、Xのライブじゃなくて、Xオーディション参加者ですから。




知らない人をどうしたらその空気、魅力に巻き込んでファンにさせられるのか。

なにをどう伝えるのか。



やるべき事をやる、ということがどんな事か。




をいつでも思い起こさせてくれる映像だったりしますね。


アツい演奏です。




まあ、1986年には、YOSHIKIは自身のインディーズ・レーベル「エクスタシーレコード」を設立していて、

2曲目に演奏した「オルガズム」をエクスタシーレコード第一弾シングルとして発売、

初回プレス2,500枚を完売させたらしいんで、当時無敵状態だったというのもあるんだろうけど。




CDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCD


一方

X同様1987年のCBS・ソニーオーディションに参加し、

後に1989年のCBS/SONY RECORDS主催のSDオーディションでグランプリを獲得したのが、

ハード・ロックバンド、

NIGHT HAWKS



NIGHT HAWKS




でかい男がメイン・ギター🎸/ボーカルの青木秀一

紅一点がサイド・ギター🎸の岩下千絵



岩下千絵は、たしか元々青木のギター教室の生徒だったらしい。



美女(背は小さく可愛らしかった岩下)と野獣(トンデモなく体がでかい青木)のツイン・ギターの対比が

面白いバンドでした。



この時期って世界的にハードロック/ヘヴィメタルが

ビルボードトップ10を席巻するほど人気があった訳なんだけど、

日本では当時その流れとは違ういわゆる

"バンドブーム"の流れがあった訳で、

メジャーフィールドで純然たるハードロックバンドって実は少なかったんです。



NIGHT HAWKSは日本のメジャー・レーベルにおいては本当に稀有な

"1987WHITESNAKE"の正統的フォロワーだったと今になって気づいた感じですね。




ちなみに岩下千枝といえば、ジョン・サイクスと同じブラックのレスポールが特徴でした。




昔CDショップでまだデビュー前のNIGHT HAWKSの1stアルバムダイジェストの非売品カセットテープを貰って持ってたんですけど、見当たりません。

見つかったらいつかブログでお見せしたいですね。




個人的には昔から、

1989年発売の1stアルバム「NIGHT HAWKS

収録曲の



CRY FOR YOU



って曲が

が好きなんですけど、動画になかったんでこちらを。









青木秀一のボーカル含め、今見ても相当素晴らしいバンドです。


後世にどんなバンドだったかが分からなくなったり、埋もれてしまわないよう、これらの動画を残してほしいと切に願いますね




CDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCD




実はNIGHT HAWKSと全く同じ経緯、


1987年に行われたCBS・ソニーオーディション

1989年のCBS/SONY RECORDSのSDオーディション


を経由してメジャーデビューしたのが、Xだった訳で。




1989年4月21日発売

X メジャーデビューアルバム

BLUE BLOOD



NIGHT HAWKSはその後Xのボーカリスト、TOSHIのソロシングルのバックバンドをしていた他、X(X JAPAN)のレコーディングにも協力するなど、メジャー同期としての親交があったようです。



CDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCD



さてVELVET PΛW

同年1988年、「JR アメリカン・トレイン」のレセプションで演奏した際の一枚らしいです。





この時既にギターの長見順が脱退しており、3ヶ月のオーディションの末、新ギタリスト高澤祥子(左2)が加入していました。

当時エディ・ヴァンヘイレンパール兄弟窪田晴男が好きだったそうです。



CDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCD



パール兄弟といえば、

1986年6月25日発売の1stアルバム収録曲にこんな題名の曲があるそうで。


○。○○○娘





そういえば、1997年11月3日に発売された

モーニング娘。のインディーズデビュー・シングル

愛の種」の作詞・プロデュースって、

パール兄弟サエキけんぞうだったなあ。



作曲の桜井鉄太郎は、同じくパール兄弟窪田晴男

とのコラボが元で自身の音楽ユニット「COSA NOSTRA(コーサ・ノストラ)」を結成したらしいから、

この曲名、偶然ではなさそう。



CDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCD



また脱線。




で、「アメリカン・トレイン」って何?と全然知らなかったんで調べてみたら、

昔「アメリカントレイン」という臨時列車🚃が、

1988年7月4日(アメリカ🇺🇸独立記念日)〜11月16日の間、日本各地を縦断したらしいです(翌年1989年1月14日〜22日には鉄道が走っていない沖縄まで行ったそう)。




こちらがアメリカン・トレイン

かなりアメリカ🇺🇸南部感が強い塗装。





いわゆる客を乗せて運んだのではなく、列車は万博さながらのパビリオンとなっていて、駅に止まっている間お客を入れていたそう。

「遊びながらアメリカ🇺🇸がわかる」がコンセプトだったらしいです。



この「アメリカン・トレイン」とVELVET PΛWにどんな関係があるのかよくわかっていなかったんですが、

どうも当時CBSソニー

アメリカン・トレイン テーマソング歌詞コンテスト」というのがあったらしく、VELVET PΛW

SHINING STAR 生まれたての星

という曲でグランプリを獲得したようなんです。



なにせ情報が少な過ぎの上、この曲を聴いたことがないので、この真偽はなんとも言えません。




一つだけわかっていることは、この曲は販売されることはなく、「アメリカン・トレイン」のイメージ・ソングはこちらになったということ。


1988年

CHERY CHERY

THE AMERICAN TRAIN






当時の「アメリカン・トレイン」のCM曲にもなっていた曲。

メンバー含めめっちゃアメリカン・ロックですが、

この曲の作曲者があのジョーイ・カルボーン



ジョーイ・カルボーン(カーボーン)




であることと、その後の情報が少な過ぎることから、

この「アメリカン・トレイン」のためだけに作られた日本企画のグループではないかと。




いわゆる1984年テリー・デザリオの「オーバーナイト・サクセス」的な感じなのでは。


※thank you sony、please don't erase.




CHERY CHERYは9曲入りのアルバムも出していたようです。



CDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCDCD



いかん、また脇道に逸れまくって一年分しか書けてない。もう少しでデビューなのに。



完全に不定期化しているVELVET PΛW

続きは、次回の講釈で。



猫猫猫にゃー