番外編 VELVET PΛW 〜プログレッシブ・ロックとJ-POPの狭間で(第三夜) | skyp2tの音楽が好き!

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猫猫猫    大幅加筆・訂正したよ〜 猫猫猫


〈ベルベット・パウの歴史 part.4〉


VELVET PΛW  メンバー紹介①

メイン・ボーカル 須賀直美

パワフルなボーカルは『あんこ椿直美』と呼ばれていたそうな。




ということで、
1987年にタイム〜スリップ!!

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1987年
1987年に入り、年初から念願のレコーディングに入るも(CBS SONYの、ではなかったらしいが)、
ドラムの桐生千弘が突然の病に倒れ、なんと3月にはレコーディング自体が中止に・・・

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この頃デーモン閣下(聖飢魔II)がお見舞いにきたらしい。

何でデーモン閣下

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実はベルベット・パウ
デビュー時聖飢魔IIと同じ事務所(ミュージックチェイス)に所属していたんだそうで。


推測すると、ベルベット・パウがこの事務所に入ったのは、多分1986年〜1987年あたりかなあと。

この辺はあまりにも情報無さすぎて不明。


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調べてみると、

1985年3月にミュージックチェイスが設立。


同年1985年9月21日にFITZBEATレーベル(CBSソニー)から聖飢魔IIがアルバム・デビュー。

聖飢魔II〜悪魔が来たりてヘヴィメタる



うわー、すっごい久しぶりに聴いた。

そう、これこれ。



当時某雑誌に酷評されたという伝説を持つこのアルバム。



デビュー前の映像みたら、アルバムよりもっと荒い演奏、かつお笑いに振り幅が傾いてたんで、当時からバンドに対しては好きな人と嫌いな人がいたんだろうな、とは思ったりして。



1stアルバムを音だけ聴くと、デーモン閣下のボーカル含め、実は昔からかなり本格的。



今聴くと80年代前半にいたN.W.O.B.H.M.直系のピュア・メタルバンドって感じに聴こえる。

「昔苦手だったんで聴いてないよ」という人も、まっさらな気持ちで試しに聴くと意外と面白いかも。



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というか、聖飢魔IIを調べていくと、初期のお笑い系悪魔👿イメージとは異なる意外な歴史と事実がどんどん。



そしてまたVELVET PΛWにちゃんと戻ってくるという。



こうなると聖飢魔IIベルベット・パウが出会ったのも必然だったのかも・・・



まあ、騙されたと思って聖飢魔IIの歴史に少しお付き合いください。



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当時のギターのジェイル大橋代官(大橋隆志)は、のちにロサンゼルスでスリージー・ロックバンド、CATS IN BOOTSを結成して、アメリカのEMI傘下のキャピタル・レコードからアルバムを発売。



1988年5月発売

CATS IN BOOTS  6曲入EP

「DEMONSTRATION - EAST MEETS WEST」



CATS IN BOOTS

左から畑江"Butch"康弘(ベース)、JOEL ELLIS(ボーカル)、大橋"Jam"隆志(ギター)、RANDII MEERS(ドラム)


ドラムのランディ・メアーズは、ブラック・オーク・アーカンソー(昔ドラムのトミー・アルドリッジも在籍してた)やY&Tにいたらしいが、どちらもちょっとだけの在籍だったよう。元はHOOKERというサザン・ロック系バンドのプレーヤー。

ジョエル・エリスドゥイージル・ザッパフランク・ザッパの息子)やラフ・カットとセッション経験があったらしい。

※ちなみにフランク・ザッパのバンドには、後にU.K.結成前にエディ・ジョブソンテリー・ボジオが在籍してたのは余談。



ジョエル・エリス大橋


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同じく当時聖飢魔IIドラムのライデン湯澤殿下は、レッド・ツッペリンジョン・ボーナムに影響を受けていて、U.K.テリー・ボジオRUSHニール・パートトニー・ウィリアムスキング・クリムゾンや『ドラマ』期のYESTOTOなんかも好きだったらしい。



多分当時のベルベット・パウとは話が合ったと思うなあ。


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ライデン湯澤殿下はその後「雷電湯澤」名で、聖飢魔IIゼノン石川和尚石川俊介: ベース)、サポート・メンバー/プロデューサーで関わってきた怪人松崎様松崎雄一: キーボード)と、なんと、三人組フュージョン/ジャズ・ロックバンド、RXを結成。


RXは、Raiden yuzawaとXenon Ishikawaの頭文字



ライデン湯澤殿下

雷電湯澤



ゼノン石川和尚

石川俊輔



怪人松崎様


松崎雄一



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1991年にRXは、

1st album「CHEMICAL REACTION

SONY RECORDS SRCL 2156

を発売。



渡辺香津美(ギター)、本田俊之(サックス)、和田アキラ(ex.PRISM のギター)といった超一線級のミュージシャンがゲスト参加。



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本業の聖飢魔IIの活動のためバンドは休止するも、1999年12月31日には聖飢魔IIが解散(ほんとは7の月に解散するつもりがマネージャーが仕事を入れてたんで年末までしっかり活動させられた、ということらしい)。



その翌年の2000年、9年の期間を経て本格的にRXの活動を再開。

ミニアルバム「Zeitmesser」を発売。



収録曲

Agrion」。City Pop感ある哀愁漂うフュージョン、なかなか良いです。

Mystery from Greenman」は硬派なジャズ・ロック。ほんのりU.K.感もあったり。


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と思ったら、翌年2001年にアルバム「ELEMENTS」で大きく曲調をプログレッシブ・ロック方向へ大胆にも舵を切り、


なんと2曲のボーカルにジョン・ウェットンキング・クリムゾン/U.K./エイジア)を召喚するという快挙!!!



2001年発売

RX

2nd full album 

「ELEMENTS」 COCP-31368




RXJOHN WETTON

(左から雷電湯澤ジョン・ウェットン石川俊輔松崎雄一



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ジョン・ウェットンって誰?という人のため、参加バンドの歴史のほんの一部をご紹介。



KING CRIMSON(「暗黒の世界」「RED」期)

1973年〜1974年(本人は1972年から参加)

左からジョン・ウェットン(ベース・ボーカル)、デヴィッド・クロス(バイオリン)、ロバート・フリップ(ギター)、ビル・ブルッフォード(ドラム)


U.K.(第一期)1977年〜1978年

左からアラン・ホールズワース(ギター)、ビル・ブルッフォード(ドラム)、ジョン・ウェットン(ベース・ボーカル)、エディ・ジョブソン(キーボード・バイオリン)


U.K.(第二期)1978年〜1980年

左からジョン・ウェットン(ベース・ボーカル)、エディ・ジョブソン(キーボード・バイオリン)、テリー・ボジオ(ドラム)


ASIA  1981年〜1983年

左からカール・パーマー(元ELP、ドラム)、ジョン・ウェットン(ベース・ボーカル)、ジェフ・ダウンズ(元バグルスYES、キーボード)、スティーブ・ハウYES、ギター)



とりあえずこれだけ覚えれば大丈夫。
声良し、人柄良し。ベース音が大きくて有名なスーパーベーシストでした。

2017年に惜しくも亡くなりましたけど。


ガチのプログレッシブ・ロックが演奏できるのに、

根っから絶妙にPOPS感覚のある不思議な人でした。


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ELEMENTS

ウェットン参加曲

4. ARCADIA 

英語作詞: JOHN WETTON  作曲: 雷電湯澤 編曲: 松崎雄一

5. I am innocent

英語作詞: JOHN WETTON  作曲・編曲: 松崎雄一



参加した2曲の英語作詞も快諾してしまうウェットンの力の入れよう。



参加した曲の内、「ARCADIA」という曲。

原曲作詞はデーモン閣下。



というのも実はこの曲、聖飢魔IIがオリジナルという。



1999年4月21日発売のマキシ・シングル「蝋人形の館'99」収録曲。

RXバージョンにはギターで盟友ルーク篁(たかむら、ギター)参謀が参加。

あたかもウェットンのオリジナルであるかのよう、違和感なし。



ということで、実質聖飢魔IIウェットンという、聖飢魔IIデビュー当時からは、全く考えられないような夢の共演が実現したわけです。



蝋人形の館'99




もう一曲の「I am innocent」は、エイジアやU.K.感あるハード・プログレッシブ・ロック。



ELEMENTS」アルバムは、是非

3. ENDLESS SPIRAL

4. ARCADIA

5. I am innocent

の3曲を続けて聴いてもらえればと。3曲とも歌入り。



ちなみに3.のギターは和田アキラ

プログレッシブ・ロック化したRXの真骨頂がここに。



メロディック・ロック好きにもおすすめします。

(メロディック・ロック好きはこの辺穴かと)



ちなみに個人的には、ああ、後期のウェットンの声だ、と思うだけで2011年のクラブ・チッタを思い出して🥲ウルっときてしまいます。



6. もU.K.的なんで合わせてどうぞ。


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実は後日談があって、RXをいたく気に入ったウェットン。自分のツアーのロンドン公演に逆召喚。


ARCADIA」の他エイジアの「SOLE SURVIVER」「HEAT OF THE MOMENT」を一緒に演奏。



その映像はDVD化されてます。



映像見たけどウェットン、2001年頃はしっかり声出てるなあ。


ヒート・オブ・ザ・モーメント」はアコースティック/AORアレンジ、「ソール・サバイバー」は途中まで完コピ、後半ギターとサックスでオリジナルを、って感じでした。


しかし、このDVDのジャケット、元聖飢魔IIって、知らなかったら全然分からないね(笑)。



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これまた蛇足ですけど、RXって調べててたら、

劇団⭐️新感線のバンドに松崎雄一岡崎司(ギター・作曲、新感線ファンに知らない人がいない人)と一緒に参加していたんですね。


それもメタルマクベス(2006年)の再演(2018年)に。






実はdisk3(長澤まさみ浦井健治主演)、豊洲のIHIまで観に行きました。オリジナルは至高です。



この演劇、80年代のジャパニーズ・ヘヴィ・メタルとめちゃくちゃ関連あるんで、機会があったらDVD観てみてください。



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話は戻り、

ミュージックチェイスという事務所、当時聖飢魔II以外に同時期アースシェイカーも所属してたそうで。

アースシェイカーは当時のジャパニーズ・メタルの筆頭格だったバンド。



この辺あたりの時代かな?



1985年9月18日発売

EARTHSHAKER  4th album

「PASSION」


EARTHSHAKER


聖飢魔IIのデビュー・アルバムって、このアルバムの3日後に発売されたという事実。


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アースシェイカーといえばこの曲しかない!

そう「MORE」!!!


LAメタル絶頂期の1984年、第7回目の音楽フェス、『MUSIC WAVE』at 日比谷野音の

"ゲキ熱"映像をアースシェイカー公式映像でどうぞ!




アースシェイカーがトリだと思ってた客が、オープニングでいきなり「MORE」のフレーズがかかったものだから、物凄い数が一斉にステージに押し寄せて、えらいことになった伝説のライブとか。



確かに前の方はしんどそう。


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因みにバンド名のアースシェイカーは、VAN HALENと並び称されるアメリカ西海岸のハード・ロック先駆的バンド、Y&Tのアルバム「EARTHSHAKER」(1981年)のアルバム名から取られた、というのは有名な話。



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そういえば、
アースシェイカーが1983年6月21日に1stアルバムを発売してから1986年7月15日発売の5thアルバムまでをキング・レコードネクサス(NEXUS)・レーベルからディストリビュートしてたんだけど、ネクサス・レーベルって80年代のジャパニーズ・ハード・ロックレーベルであると共に、当時のジャパニーズ・プログレッシブ・ロックの専門レーベルだったわけで。


つまり、
86年5月頃アルバム・デビュー予定
87年1月頃レコーディング
はもしかして・・・?


あくまでも仮定の話として、仮にプログレッシブ・ロック専門レーベルからのデビューだったらと考えると。音楽性はいわゆる"通好み"なものになってたかも。
当時ネクサス・レーベルから連続でアルバムを出せたバンドはほんの一握りだったから。
(でもネクサス・レーベルは、デビュー後のベルベット・パウにある意味大きく関係してくるんだな、これが)


その代わりソニーというメジャー・レーベルのフィールドに入ったがゆえ、バンドがいろいろ相当葛藤をした結果として、今聴くことができるベルベット・パウの音楽、そして4枚のアルバムが生まれたんじゃないかなと思うんですけど。



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〈ベルベット・パウの歴史 part.5〉


1987年、病から、そしてレコード・ディールを失ったことからなんとか立ち直った桐生千弘、そしてバンドのメンバーは今まで以上に精力的にライブを行ったらしい。

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この時点から「POPな要素」を導入したという
ベルベット・パウ


この事が他のプログレッシブ・ロック・バンドとの大きな違いとなる、「先鋭的な」音楽的要素になったことは想像に難くない。


ジャーン。


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次回
番外編 VELVET PΛW
〜プログレッシブ、ロックとJ-POPの狭間で
(第四話)


お楽しみに!



(あっ、結局1987年のことしか書いてない・・・)

猫猫猫にゃー