前回のブログ。
「ベルベット・パウ」ってバンド知らない、っていう人が殆どかと思うんで、ご説明を。
VELVET PΛW(ベルベット・パウ)
こちらは4thアルバム発売時のメンバー
左から
・平野安芸子(ベース)
・伊藤憂紀(ギター)
・須賀直美(メインボーカル)
・増田友希江(キーボード)
・桐生千弘(ドラム、ボーカル、作詞/作曲)
ベルベット・パウとは、
メジャー・レーベルのCBS/SONYからデビューした、
多分日本で初めてメジャー・デビューした
女性だけのプログレッシブ・ロックバンドなんです。
(ボーカルだけ女性っていうバンドは以前からあったし、アルスノヴァやロザリアのデビューは90年以降。SHOW-YAはハード・ロックバンドと思ってるんで多分間違ってはいないかなと)
〈VELVET PΛWの名前の由来〉
VELVET PΛW(PAW)は英語的には
「ベルベットのような動物の手」、具体的には
「ネコの手」って意味。
確かにネコの手はすべっとしてなんか気持ちいい。
当時のファンクラブの名前が「猫の手も借り隊」
だったそうだから多分間違いない(と思う・・・)。
PAWの「A」が「Λ(ラムダ)」なのは、VELVET
に「V」が2つ入ってるのもあるし、他とちょっと違うデザインにしよう、ってことでこうしたのかも。
けど本当の理由は不明。
当時BOØWYの全盛期(活動期間81年〜88年)
だったことも関係してるかも
(O→Ø に対抗してA→Λ)。
今も昔もこういう文字があると検索にひっかかりにくそうなんだけど。
でもそんなところもベルベット・パウぽい。
バンドに関しては元ファンクラブ会員の方の、会報を元に作成された正に歴史書というべき詳細なホームページがあるので割愛するとして、
ここではざっくりとしたベルベット・パウの歴史を。
〈ベルベット・パウの歴史 part.1〉
1981年
ドラム&作詞・作曲担当の桐生千弘がレッド・ツッペリンの音楽に衝撃を受け、
女子校のサークルでブリティッシュ・ハードロックのバンドを結成。
1982年
同じ女子校の後輩、メインボーカル担当の須賀直美が加入。
1984年
ベース担当の平野安芸子が加入。
楽曲のプログレッシブ・ロック化が進む。
音楽性がツッペリンからプログレッシブ・ロック、更にはモダン・プログレッシブに移行していく流れ、
この辺はカナダ🇨🇦のRUSHにそっくり。
ざっくりと思想性を抜きにして、音楽性を批判承知で表すなら、RUSHがツッペリン+YES(+ポリス)、ベルベット・パウはツッペリン→ジェネシス(それも80年以降のPOP/モダン化後の影響大)。
YESやケイト・ブッシュ、ジェネシス脱退後のピーター・ガブリエル、U.K.などの影響も当時の桐生千弘が言及してたよう。
ここで、
〈当時この辺聴いてたのかな、という作品〉
を。
1980年3月28日発売
GENESIS 12枚目のアルバム(スタジオ・アルバムとしては10枚目)
「DUKE」
1981年9月発売
GENESIS 13枚目のアルバム(スタジオ・アルバムとしては11枚目)
「ABACAB」
1. ABACAB 、2. NO REPLY AT ALL あたりに影響あり。
※ちなみに1980年代MTVで歌う可愛いおじさん化していたジェネシスのドラマーのフィル・コリンズ、
実はバカテクドラマーだったのは、ご存知の方もいるかも。
BRAND Xというジャズ・ロックプロジェクトの1stアルバム(1976年)の1曲目「Nuclear Burn」で、
フィル・コリンズがハイパー超絶ドラムを叩いてるんで(インストが聴ける人は)よかったら聴いてみてください。
1977年2月25日発売
元ジェネシスのボーカル
PETER GABRIEL ソロ1stアルバム
「PETER GABRIEL」
(通称 "PETER GABRIEL 1" or "CAR")
2. Solsbury Hill 、3. Modern Loveは影響あり。
1983年11月7日発売
YESの11枚目のスタジオ・アルバム
「90125」(日本名「ロンリー・ハート」)
3. IT CAN HAPPEN、 5. CHANGES 、7.OUR SONGあたりは題名含めて影響あるかも。
1982年9月13日発売
KATE BUSHの4thアルバム
「THE DREAMING(ドリーミング)」
1. SAT IN YOUR LAPのリズムは影響あり。
1978年3月発売
U.K.の1stアルバム
「U.K.(憂国の四士)」
音楽的にはそれ程影響を感じないけど、当時ドラムの音色はU.K.の初代ドラマー、ビル・ブルッフォード(元ジェネシス/YES)ぽくしてるとの発言あり。
桐生千弘の好きなアルバムとして、日本公演のライブ盤「ナイト・アフター・ナイト」を挙げているけど、
ロールをあまり使ってない丁寧なドラミングは二代目ドラマーのテリー・ボジオの奏法ではなく、やっぱりブルッフォードぽい。
あくまでも聴いてたかなあ、っていうアルバムを挙げてみました。
〈ベルベット・パウの歴史 part.2〉
これは、バンドメジャーデビュー前、多分1985年後半位に撮影された貴重な1枚。
後列左から
・池田亜樹(キーボード、デビュー前に脱退)
・須賀直美(メインボーカル)
・葉積(または羽純?)玲子
(ギター、デビュー前に脱退)
前列左から
・桐生千弘(ドラム、ボーカル、作詞/作曲)
・平野安芸子(ベース)
どうもこの頃、翌年1986年の5月あたりにアルバム・デビューする予定だったらしい。
翌年2月〜3月にレコーディングして、アルバム発売と同時にデビューライブ、というスケジュールも決まっていた矢先、
それもいつの間にか立ち消えに。
1985年
色々なプログレッシブ・ロックバンドとの対バンが活発化。
当時の対バンバンド
・ワルキューレ(85年〜86年に活動した東京のノヴェラ系progバンド)
・ケネディ(スペース系ジャズ・ロックバンド)
・ルーシェル(83年〜88年に活動した名古屋のノヴェラ系progバンド)
など。
VALKYRE(ワルキューレ)
※アルバムは発売されなかった模様。
前身バンドのABEL(アベル)はデモ・テープを2本発表。
Lushel(ルーシェル)
※85年にはデモテープ(写真)、86年には1stフルアルバムを発売。
因みに余談。
前列右側の方、原(Harabow)一博という名前で、後にTRF、EXILE、浜崎あゆみ、倖田來未、最近では
IZ*ONE等に楽曲を提供するヒットメーカーに。2000年には小柳ゆきの曲でレコード大賞作曲賞を獲ったらしい。
今に繋がる日本のビジュアル系バンドの先駆けは
プログレッシブ・ハードロックバンド、ノヴェラ(1980年デビュー)
NOVELA(ノヴェラ)
とも言われてるんですけど、
1985年当時でも結構ノヴェラのフォロワーが多かったようで。
ケネディは、2バンドとは毛色の違う硬派のジャズ・ロックバンド。ジャケットのインパクトもあってこのライブ・アルバムはたまに聴いてしまう逸品。
1987年発売
KENNEDY(ケネディ)2ndライブアルバム
「KENNEDY!」
※過去フランスのムゼア・レーベルからも発売されたジャズ・ロックの名盤
またも余談。ギタリストの泉陸奥彦は、後にコナミのサウンドディレクターに。「ギターフリークス」「ドラムマニア」といったソフトに楽曲を提供したらしい。
そんな1985年、
当時のベルベット・パウはMC無しで演奏に没頭する、かなりの硬派でとおしていたらしい。
対バンを通して自分達を必死で磨いていた、本人達はそんな時期だったんですかね。
とまだまだベルベット・パウの物語は続きますが、いつもどおり脱線し続けたので書ききれず・・・
続きはまた次回ということで。
番外編第一夜はこれにて。
にゃー