私としては早起きの7時起き。
さっと母親と朝御飯を食べて仕度した。

水曜日に電話で相談員さんはあまり早く来ても困ると言ってたのだが、いっぺんでは運べないほど荷物がいろいろあるし、着替えとか見せてもらいたいから9時に着くようにした。

帰りに父に着させようと買ったパジャマとカーディガンと靴を持って行った。母と打ち合わせしておいた。私は荷物を運ぶのと会計をするので、父の事は母がやって介護タクシーで一緒に帰るようにしてと話しておいた。

今日退院なのでと言って、いつもの用紙を書いて警備室で上に連絡を取ってもらい、パスをもらって入る。

上に上がってエレベーター前のソファで呼ばれるのを待つ。その前に洗面台で手を洗ってと言われる。
掃除の人が来たので、私たちはあちこち避けながら過ごした。

10分くらい待ってから呼ばれた。2人の看護師さんがついていてくれた。着替えを見たかったのだが、時間もあまりないようなので、とりあえず私は持って帰る物の準備をバタバタと始めた。

若い看護師さんが着替えの事とかを母に見本見せながら、父が着替えてるとこまでは見ていたが、もうここからは別行動。40代くらいの看護師さんは荷物を袋に入れるのを手伝ってくれていた。ほら~オムツ20枚以上あるじゃんプンプンがさばるのに大変アセアセ

一回大きな袋にパンパンの荷物を駐車場に二つ持って行き、また病室に戻った。その間に看護師さんが袋詰めした荷物をストレッチャーに乗せてくれていた。それでもまだあって全部乗せたら、雪崩起こしそうガーン

そうこうしてたら、相談室の看護師さんが来て、介護タクシー来ましたよと言われ、すぐに介護タクシーの方も入ってきました。私が見たのはここまで。

私は雪崩起こしそうな荷物を運んでた。看護師さんも手伝ってくださって、外までストレッチャーの荷物を出してくれた。そこから、駐車場に行ったり来たり2往復でやっと運び終えた。そこでありがとうございましたとバタバタと挨拶してる時に父もタクシーに乗り込んだようだった。

それから私は中に戻って、会計の前で待っていた。そして呼ばれて23万弱払って、明細や領収書や診断書をもらって終了。

出口で駐車券の無料処理をしてもらってから、入院者関係を証明する紙を返した。これで病院は終了。

早く帰らなくては。1人で帰った。

もう運ばれたようでタクシーはいない。
荷物が多いので、階段前に車を置いて、3往復してから車を駐車場に入れて、家に入った。

玄関からまっすぐ父がベッドに寝ているのが見えた。母は何かしていたのかその部屋にはいなかった。

私は父についていなかったので、全然どうしてたのかはわからなかったため、母にあとで聞いた話。

父羽織りも着せてもらって、嬉しそうだったと母は言ってた。車椅子に乗せられ、前が開く上履きのような靴も履かせたら、また嬉しそうにしてたそうだ。←ホントに帰れるんだと思ったからかな?


ベッドに寝ている父にやっと帰って来れたねー。部屋キレイでしょ?とか話かけた。キレイになったせいで、なまはげ(父の作った)だけが目に入るらしく、指さしては嬉しそうにニコニコしている。
何回も何回も指指してた爆笑

それから病院で渡された栄養補給の薬?名前忘れちゃったんだけど、30日分(液体だから重いえーん)押入れに入れた引出しにしまったり、オムツもその横に入れたり、片付けた。

このベッド持ち上げられるんだよって上げたら、もう少し上げてというように手を振った。あんまり上げたらお尻いたくならないかな?と思いながら、好きな位置にした。

だいぶ涼しくなっていたので窓を開けて、外が見えるようにしてあげた。青空に雲、生い茂った木が見える。風に当たるのは、車に乗れなくなってからだから3ヶ月ぶりではないかな?

電話がかかってきた。ケアマネさんだ。15時に来るとの事だった。

それもあったし、朝も早かったのでお昼に食べるパンとお茶のペットボトルを買いに行った。

帰ってきてから、また母と父のそばに行ってたのだけれど、今度はテレビを指さした。

入院前、自分の部屋のテレビは付けないといって、もう何ヵ月も見ていない。居間のテレビは音なし(うるさいから)で座って見てる事はあったが。

これまた嬉しそうにテレビがある爆笑みたいな感じだったので付けた。そしたら、何か言いたそう。ペンとノートを渡したら、音がしないと書いた。聞きたいんだびっくり

よっしゃ!!
母にヘッドホン🎧️買って来ると告げて、飛び出した。近くの店で父が使いやすそうなのを店員さんにたずねながら選んだ。

すぐ出して、父に付けてリモコン付けたら、外に聞こえるほどの大音量で見始めたニヤニヤ

楽しいようだし、少しほっとこうかね。


15時にケアマネさんが来た。
この日父はとにかく何もかも楽しいらしくて、ケアマネさんに話かけられても、困った顔もしながらも愛想してた気がした。
お父さん大きいんですねって言われたし、歯を入れてたせいで、かっこいぃんですねって言われたし口笛

流れは忘れたけど、父がケアマネさんに、ノートに書いた。

今世は楽しいかね?

そう言われてもね~難しいよねぇニヒヒ
まあこれが父の思いだったのかな?面白い人生であったのか?なかったのか?

聞こえないせいもあるけど、入れ歯で私が聞き取れないせいもあって、筆談多かったお陰で、父の書いた事が残っています。

寝てるせいか、ボールペンじゃ書けなくなる・・だから鉛筆が病室に置いてあったんだひらめき電球

父の横で契約書みたいな物を何枚も書かされました。内容を特に説明されるわけでもなく、ここに住所と名前って感じで真顔

複写じゃなく2枚同じ書類に書いて、一枚うちの控えなんですって。めんどくさっびっくり


1時間強いて帰りました。

帰ってから、100均でお尻洗う時に使う物とかビニールとか買いに行き、母と2人のお弁当を買った。
尿カテーテルのせいか臭いもきついので、ウエルシアで無香料の消臭剤を買ったりした。

夜になり病院でかけていた綿毛布を洗って、コインランドリーに乾かしに行った。それがいつものところが開いていなくて違う所にいった。

夜中になって、父がずっとタンで辛そうに咳をするようになった。咳というかタンを取るためにやっている気がする。
食べないと言って、何も口にしていないのだが・・・・ほんの少し水を飲んだくらい。

あまりにタンが出て、切れたかなと思うタイミングでティッシュを出してあげてた。タンの取り方わからないえーん

あまりにタンを出したので、水分なくなってると思って、水を飲ませようとしてもなかなか飲まないのだが、一回だけストローでゴクゴク飲んだ。

だがまた苦しくなるせいか、もう飲まなくなったショボーン

ずっと5分置きくらいにそばに行っていたが、朝も早かったし、明け方4時に無性に眠くなり、23時には寝ていた母を起こして変わってと言って、倒れるように寝た。

しかし2時間後の6時に母に起こされて、まだ苦しそうという。見に行ったらゲホゲホ言ってタンを切る力がなくなった感じだった。

たまらず入院していた病院に電話をした。警備員さんから救急の看護師さんへ。そして入院中の事を把握してくださったうえで、右や左に体をうごかすと出るようになるとの事を教えてくれた。

だが父は横向いてくれない。なんとか斜めでもと思ってクッションを片側に入れたりした。でも体制もつらそうえーん

昼間になりベッドを上げたら、楽になったのか寝ていた。この隙に私も寝よう。