女優有馬稲子さんのエッセイに「夏羽織を一枚残して」~人生最後の楽章の指針に~ という気になる表現がありました。
「夏羽織一枚を残して死ぬ」・・・つまり「人の一生はほぼプラスマイナスゼロ、わずかに夏の羽織一枚を残す程度に終えるのが理想だ」という意味です。
着物を常用しなくなった最近ではどんなものか想像しにくいですが、絽(ろ)や紗(しゃ)でできた風通しのよい伝統的な夏用の羽織のことです。
“なぜ一つ残すものがこれなのか” と考えても明快な答えは浮かびません。
なんとなく、残された人への押しつけがましさがなく、一陣の涼風を感じさせるような遺品一つ・・とでも解釈すればいいんでしょうか?
「しまい込んで2年間使わなかったものは、2度と使わない」
・・・・思い出は品物でなく心に刻むもの。・・・
高額の品物に囲まれて暮らした経験多々の昭和の名女優・有馬稲子さんの悟りの境地だけに実感があります。
我々、凡人は「もったいない、もったいない!」の連発で 要らないものでも大事に仕舞いこむ悪い癖がありますよネ。
そのDNAのせいで・・今日も捨てることができずに目をつぶってしまいこんでしまう・・・多くの奥様方のサガかも?
昼間、思い切って捨てた衣服、夕刻、玄関先のBINにもったいないと思いかえして、またまた、元のたんすの奥にしまい込むせこい体質。
目をつぶって捨てたのに・・・。 男どもは苦笑していまいます!
お家はいらない物だらけ・・・でも、捨てると・・・あ!!と後悔!・・・・きっぱりと、何でもすぐ処分するタイプの人が羨ましい限りです。
五欲 ―天からの墜落
人間は “死後 どこへ行くか” ということについて考えても、凡人には答えようのないこと・・・
六つの世界をぐるぐると廻る輪廻転生
(リンネテンショウ)はなかなか止まらないからです。
たった一つの脱出法は、解脱
(ゲダツ)つまり悟りを開くことです。 それは無理 無理! ・・・お釈迦様でもあるまいし・・・・
ゲダツなどという言葉を聞くと「オオム真理教」を思い出す? って? 「無神論者」をうそぶくあなたには、つまらない話かも知れませんが・・・・
さて、まだ悟っていない天人の寿命が尽きる時は、五つの兆しが現れます。
故三島由紀夫の小説で有名な「天人五衰
(テンニンゴスイ)」です。 しかしながら 個人的には 一部納得できない部分もありますが・・・・
1 頭上の花が萎みます。
「名誉欲が満たされない」ことの象徴です。天人のみに与えられている花が萎むとは、特権の消失です。この上ない座が奪われるのです。
多くのサラリーマンの場合、加齢により職場の高ポストを奪われると嘆き悲しみ、寂しいほろにがい経験をすることとなります。
とかくこの世では「権力」を握るとロクでもない方向にゆき、最後は崖から真っ逆さまに落ちます。
どんな人間でもある程度の社会的地位を獲得すると・・・次に「名誉欲」が自然と湧いてきます。
一般市民が権力を握ると、権力の甘き香りに酔いしれて、醜くもしがみつき続けようとする・・・・人間のサガです。
2 脇の下を汗が流れます。
「睡眠欲が満たされない」ことの象徴です。
脇の下の汗とは「冷や汗」であります。
それが出るような精神の不安定があれば、鬱々(ウツウツ)とした夜になるに相違ありません。
厚生労働省の調査によると、一般成人のうち不眠に悩む人は約21%、日中の眠気を自覚している人は約15%に達しています。
成人の5人に1人・・・・・約2,000万人の人が不眠に悩んでいると推計され、睡眠障害は国民病とまでいわれることもあります。
60歳以上になると3人に1人が夜中に何回も起きて苦しい思いをしているのです。
従って、あなたが夜眠れないのは特別な体質でもありません。 ごく当たり前のことです。 気にしないで下さい。
睡眠薬もあまり飲まない方がよいですよ。
3 衣装が穢れます。
「物欲が満たされない」ことの象徴です。 物があってボロボロの格好をしている人は、まずありません。
物のあり溢れる時代の日本では「物欲」が満たされない人は年々減少していますが、まだあれが欲しい、これが欲しいと思っている人は別の意味で幸せです。
人生に成功し巨額の富、栄光、名声を手に入れ、目標となる物を全て手にした人はその後、家庭的な不幸、悲惨な経過をたどる事が多いようです。
自分の欲しい物をすべて手に入れたのに、それでも結局は埋める事の出来ない精神的な「激しい心の虚しさ」を体験するのです。
還暦を過ぎてもデパートの「バーゲンセールス」に飛び回っているあなたは ある意味で幸せ者でしょう?
それでも、どんなに高価な服をタンス何枚もしまっていても、それを着て外出する機会がないのであれば、全く無駄でしょう。加齢につれてフォーマルな衣装を着る機会がだんだんと少なくなってゆきます。
4 身体から発している光がなくなります。
「性欲が満たされない」ことの象徴です。異性への意識があるうちは必ず身ぎれいにするものです。
身支度に無頓着になるとは、異性への関心が薄れ、異性が離れることです。 幾つになっても異性への関心は生涯なくしてはなりません。
異性への関心がなくなれば、急速に老化の一途をたどります。 死ぬまで異性に興味を持つことが長生きの秘訣です。
女性も死ぬまで化粧をすることを忘れてはいけません。何時思いがけないチャンスが訪れるかわかりません。 素っぴんはいけません。
5 自分の座にいて楽しめません。
「食欲が満たされない」ことの象徴です。いるべき場所にいてなお心が憂いに閉ざされている人に、嬉しい食卓はありえません。
食欲は人生最大の楽しみです。 健康の源です。 たべものがおいしいと感じる時が一番幸せなひと時です。
「あれが食べたい、これが食べたい」と思う頃が人生の花です。
統計的には、多少、体重がオーバーしてメタポ調でも健康で長生きする人の方が多いようですね。 さらばもう少し太っても大丈夫ですよ・・・
農耕民族と狩猟民族の違いか?
先日、シドニーのレストランで70歳前後のおばさん達数人がステーキを注文してしっかり噛みきって食事を楽しんでいましたよ・・・・
天人の楽園は何不自由ない世界ですから、名誉欲・睡眠欲・物欲・性欲・食欲 は何らかの形で満たされており、あるいは欲として感じられていないのかも
知れませんが、「五欲 」の束縛は完全に断ち切れてはいません。
輪廻転生
の原因は保ったまま 5つの世界 をぐるぐる回るのです。
「五欲」のなかでも一番顕著な例が「物欲」でしょう。
物を大事にするのはとても良い習慣ですが・・・果たして必要のないものまでタンスの奥に終い込んでいませんか?
衣服類でも 一年以上まったく袖を通さないものは処分すべき・・・という極論を言う方もいますが・・・
それはさておき、あの世にそんなにたくさんの品物は不必要。 生前にすばやく処分をすべきでしょう。
残された身内が迷わずに わずかな “おすそわけ” ができるような「財産簡単明瞭処分」を心がけるべきと思います。
財産は生きている間にすべて使い切りましょう。 子、孫に残すという発想は捨てましょう。 災いのもとです・・・・ところが・・・・
「理屈は分かるけど」・・・人間のサガはもっと複雑、自分がこの世に生きた証しとして、子孫に有形、無形の財を残してこの世を去るという発想は捨てきれません。
借金を背負いながら、働きもせず遊んだ挙句、死ぬ人と、一生懸命働いて蓄財を残して死ぬ人と、人生、どちらが幸せなのでしょうか?
借金しまくって返済しない本人は好きなことできて幸せだったかもしれませんが、残る遺族はいい迷惑ですね。
また逆に莫大な不動産、財産など残しても、税金など高すぎて遺族が相続できない場合もあります。(どこかほかの世界の話ですが・・・・)
我々、日本人は 時として “のんき、ノー天気” の豪州人に対して軽蔑をすることがありますが、考えてみれば彼らはある意味で心が清く私欲のない「清廉潔白」な人々なのかも知れません。
金銭に係わることは、すべて本人の、ただの自己満足です。 オージーのように「生きている間にすべて財産を使い切って後世に残さない」という生き方の方が遺族にトラブルを残さない一番かっこいい生き方かも? 現在のように金融恐慌が懸念されたり、急激なインフレ、デフレなどで、激しく価値が上下する事もありますので、残した財産の価値を未来永劫保証するものでもありません。でも、仏教では、死後 の世界が六つあると説いています。 それは・・・地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人の「六道 」です。
ところで、悪事が多ければ地獄や畜生の世界へ行かねばなりませんが、良いことをたくさん行い何不自由ないとされる天人に生まれ変わっても、いつまでも楽しく暮らせるわけではありません。