こんにちは。
それは突然の訃報でしたねぇ…。
西部警察世代の私にとって、同性でも憧れるカッコいい男性像、渡哲也さんのご逝去。
私が小学生の時、同じマンションに住んでいてよく遊んでいた友達が、蒲田から引っ越すということになり、そしたら、その引っ越し先が、渡哲也さんの家の近くなんだよ、と。
それを聞いて、
小学3、4年生位の私は、渡哲也さんの大きなご自宅を下から上に仰ぎ見て、大門団長、渡哲也さんがここに住んでいるんだと勝手に興奮し、すると、サインというものをもらいたくなってしまったんです。
サインをもらいたいとは思っても、色紙なんて存在を知らない小学3、4年生の私。
西部警察では大門団長を演じられていましたが、その役柄だけでなく、俳優渡哲也さんその人自身を大好きになった、小学生時代…。
私が小学生の時、同じマンションに住んでいてよく遊んでいた友達が、蒲田から引っ越すということになり、そしたら、その引っ越し先が、渡哲也さんの家の近くなんだよ、と。
それを聞いて、
「えっ!?あの大門団長の渡哲也さんの家の近くなの!?」
もう正直、西部警察を楽しみにしていつも見ていた私は、友達に会うという事よりも、渡哲也さんの近くに行きたい!という想いが優先され、友人が引っ越して落ち着いた後日、当時の住まいの蒲田から自転車をチャカチャカこいで、引っ越していった友達の家の所在地に遊びに行ったんです。
その友達に会うやいなや、早速友達にせがんで案内してもらい(今から思えば大変失礼な私です。)、渡哲也さんのご自宅へと向かうと、そしたらほんと、友達の家から歩いて数十秒のすぐ近くで、呆気なく到着。
もう正直、西部警察を楽しみにしていつも見ていた私は、友達に会うという事よりも、渡哲也さんの近くに行きたい!という想いが優先され、友人が引っ越して落ち着いた後日、当時の住まいの蒲田から自転車をチャカチャカこいで、引っ越していった友達の家の所在地に遊びに行ったんです。
その友達に会うやいなや、早速友達にせがんで案内してもらい(今から思えば大変失礼な私です。)、渡哲也さんのご自宅へと向かうと、そしたらほんと、友達の家から歩いて数十秒のすぐ近くで、呆気なく到着。
小学3、4年生位の私は、渡哲也さんの大きなご自宅を下から上に仰ぎ見て、大門団長、渡哲也さんがここに住んでいるんだと勝手に興奮し、すると、サインというものをもらいたくなってしまったんです。
サインをもらいたいとは思っても、色紙なんて存在を知らない小学3、4年生の私。
久が原駅の近くで普通のノートを買ってきて戻り、渡哲也さんが出てこないかと、渡哲也さんのお宅の角に隠れながら玄関をチラチラ覗いていました。
すると、あれは確かメルセデス・ベンツのSLか、SLCだったと思いますが、スルスルと玄関の近くに止まり、そのメルセデス・ベンツの左側のドアが開きました。
渡哲也さん!?と思って見たら、そう思うけども、当時の小さな私にはちょっと怖い雰囲気。
眉間にシワが寄っているんだもん…。(苦笑) 睨まれたわけではないんですけども。
それで、結局、その日は怖じ気づいて退散です。(笑)
ちょっとしょんぼりしながら、ふと渡哲也さんのご自宅玄関の対面にある、広めの駐車場を見ると(現在はマンションになってます。)、そこにあの石原プロモーションカラーのマイクロバス、日産シビリアンに気がつきました。
あのシビリアンは渡哲也さん専用のシビリアンだったんでしょうかね?
今でしたら、写メを撮ったりしたんでしょうけども、当時の小学生がカメラなんか持ち歩いているわけもなく、近寄ってうろうろとそのシビリアンを見て家に帰りました。
そして後日、諦めなかった私は、1人で渡哲也さんのご自宅に再訪。完全に友達そっちのけです。(苦笑)
意を決して、ピンポーン!(この失礼な行為を文面にてお詫びいたします。)
すると、ちょっと渡哲也さんよりも年上の女性が出てこられました。
もしかすると、渡哲也さんの奥様のお義母様だったのかもしれません。
「あの、すいません、西部警察が大好きで、渡哲也さんのサインをもらいたいんですけど…。」
と、小さな訪問者はどぎまぎしながらノートを見せると、
「今は居ないから、3日後にもう一度来てくれる?ノートにサインしてもらっておくからね。」
と、優しく説明してくれて、私はノートを預けて帰宅しました。
そして約束通りの3日後、学校を終えてから自転車をこいで再々訪。
ピンポーン!
また先日の女性が出てこられ、ノートを取りに一度入られ、ノートを開いて私に見せながら、
「ちゃんともらっておいたからね。これで良いかな?」
そこには、ノートに縦書きで、
【渡哲也】
の文字が。
それを見るなり、私はもう嬉しさでいっぱい。
「はいっ!ありがとうございましたっ!」
と、お伝えして、全く友達にも会わずに、厚顔無恥な私は自宅に帰り着きました。
それにしても、渡哲也さんのサインを色紙でなく、ノートにいただくという大変失礼な事をお詫びいたします。
さて、家に着くと、そのサインの文字をじっと見ながら、渡哲也さんが書いてくれたんだぁ、あの団長が書いてくれたんだぁ、と、夢見心地でしたね。
そのサインがいつでも見られるように、私は私の勉強机(まあ、勉強はほとんどせず、クルマのプラモデルを作る工作机になってましたが…)に置いていたんですが、これが後に仇となりました。
ある日、学校から帰って自分の机の上を見ると、渡哲也さんのサインの書かれたノートが無造作に置かれていて、しかも表紙、裏表紙とも折り曲げられている。
あわててサインの書かれている部分を見ると…、
あぁっ!?
ガックリと力が抜けました…。
私が家に居ない時に、同じマンションに住む友人のお母さんが(我が母の今で言うママ友)、まだまだ幼い女の子(友人の妹)を連れて来訪したそうで。
その女の子が、私の机の上に置いてあったそのノートを見つけ、寄りによって選んだかのように渡哲也さんのページにだけ、白いペンで落書きをして、グシャグシャにしてしまっていたんです。しかも、破られている…。
母親にそれを見せながら、落書きされた無念をぶつけると、
「大事な物をキチッとしまっておかないのが悪いんでしょっ!」
と、ピシャリと叱られて、ガックリしょんぼり…。
その通りです。
渡哲也さん、ごめんなさい…。
せっかく書いてもらったのに、駄目にしてしまいました。
もう、そう思いながら、渡哲也さんを想い浮かべながら、幼き私は涙をこぼしました…。
そして今…、
渡哲也さんの訃報に、在りし日の渡哲也さんを思い出しながらこのブログを書いておりますが、自然と私の目にはうっすらと涙が浮かびます。
渡哲也さん、ありがとうございました…。
ご体調がお悪いことはネットの記事等で知ってはいましたが、石原裕次郎さんと共演された松竹梅のCMのナレーションをされたとの記事を読んで、ほっこりと嬉しい気持ちになった直後のご訃報。
まさかこんなに早いお別れになるとは思ってもいませんでしたし、まだまだ遠い遠い先の事であると思っていました。
こんな日がくるなんて、いまだに信じられない私です。
お亡くなりになられて、ネットには渡哲也さんの数々のエピソードが溢れ、優しく、時に厳しく、茶目っ気もありながらも男気溢れるその人柄に触れる事が出来ますが、このネットの記事さえも、いずれは数少なくなっていくんでしょうね…。
でも、これからも今までの作品の中に、私の胸の中に永遠に生きていていただこうと思います。
数々の病に苦しみながらも、様々な作品で私達を楽しませていただきました。
お疲れ様でした。
病気に無縁の世界で、どうかゆっくり安らかに…。
名優渡哲也さんの御冥福を心よりお祈りいたします。